黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

『エスケープ−2014年全日本選手権ロードレース−』 佐藤喬著 辰巳出版,2015-07

 

エスケープ 2014年全日本選手権ロードレース

エスケープ 2014年全日本選手権ロードレース

たまたま下の記事を見かけて存在を知って読んでみた本。


http://with585.ldblog.jp/archives/46038775.html
ロードレースの伝え方 - 日本のロードレース界がもっと良くなるために - : 長距離はNO!


ひとことで言えばスポーツノンフィクションで、表題のレースに出た選手たちやチームの監督たちに丹念にインタヴューを行って、レース全体を再構成したもの。山際淳司の「江夏の21球」や「八月のカクテル光線」と似た構成で、スポーツノンフィクションの王道と言える(ってほどスポーツノンフィクション知らないけども)。


よく取材されて、よく書けている。おれは当該レースについて全く予備知識がなかったけれど、どんなレースだったのかはよくわかった(と思う)。かなり不思議な、珍しい展開のレースだったようだ。結果も比較的意外なものであったらしい。


面白いところは、サイクルロードレースにおける個々のレースについては、その全貌を把握することが誰にもできないということだ。グラン・ツールのような大レースになれば何台ものカメラバイクやオフィシャルカー、空撮のヘリまでいるけれど、それでもすべての選手のすべての動きをとらえられる人はどこにもいない。カメラに映っていないところで落車やアクシデントが起こることもしょっちゅうある。まして日本国内のレースではそれがたとえ日本選手権であっても選手以外からはむしろ見えている部分の方が少ないのだろう。そしてもちろん、選手たち自身は自分の目で見える範囲のことしか把握することができない。


だから、インタビューによって形づくられたレース全体の記録は、たとえ多少の推測を含むものであったとしてもそれだけで唯一無二のものになっている。そしてそれはたったひとつのレースの記録ではあっても、なるほどこのように展開というのは動いたり、ある集団に有利に働いたり不利に働いたりするのだなというような、レース内で働いている力学のようなものの姿を剥き出しにして見せてくれる。それはおれのようなグランツールしか見てないようなにわかファンにとってとても興味深いものだった。だから、見たことのないレースの意外だったという結果にも納得感はあったし、その一方でいくつかの偶然が作用してもたらされた結果の不思議さに感嘆もした。大げさにいえばロードレースの面白さが詰まっていたし、自分のようなファンの視野を広げるような力があった。


ただ、これはこの本を読んだ人なら全員思ったと思うし、作者もあとがきで書いているのだけど、おそらくこのレースで最も重要だった選手にはインタヴューがとれなかったらしい。まあ、流石にわかると思うので書いてしまうと別府史之なのだが、誰もが認める大本命であり、このレースで勝敗を意識するレベルの選手であれば別府の動きを意識しなかった者は居ない筈だ。彼の動きこそがこのレース結果をもたらしたと言っても過言ではない。別府の思惑がわからないことは、少なくとも記録としてのこの本にとっては大きな瑕疵ではあろう。
でも物語としてこの本を捉えるなら、そのことは逆に一定の効果をあげている。別府がヨーロッパからの刺客かなにかのように感じられるからだ。怪我の功名というには小さな効果かもしれないが、単純に読んでいる分には面白みはあった。


あらゆるレースにこんな記録を作ることはできない。けれど、こういう本があることは、ロードレースを観る楽しみを増してくれると思う。
ただ、上のブログのエントリで語られていた「ロードレースの面白さをどう伝えていくか」ということでいうと、特にロードレースを観たことがない人にまで届けるという観点では、やはり書籍では結構難しいのかも知れないとも感じた。