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『ヴィジョンズ』 大森望編 講談社,2016-10

ヴィジョンズ

ヴィジョンズ

コミカライズを前提とした書き下ろし SF アンソロジー、というちょっと奇妙なテーマの本。コミカライズは没ってしまったけど原稿は集めたし、ということでなんとか日の目を見ることになったらしい。ただ、そんな経緯の割にはというと失礼だけれど、収録作はなかなかに粒が揃っていて楽しめた。


白眉は飛浩隆「海の指」。「灰洋(カイヨウ)」と呼ばれる、海に少しだけ似た得体の知れない存在に大陸と海とを問わず殆どが飲み込まれてしまった世界で、わずかに残る陸地に住む人間たちは、灰洋に向けて特定の音を浴びせることでいろいろなものを取り出して暮らしている。灰洋はほとんどあらゆるものを飲み込んでしまったが、どうやら飲み込まれたものの情報は損なわれてはいないらしい。音を浴びることでそれらの情報から元のものが復元されてあらわれてくる。そうやって人は食料や衣料、医薬品などを手に入れてなんとか生活を成り立たせているのだ。
この設定だけでもうすごいし、その世界に現れる異形を描く文章の鮮やかで細やかなること、毎度のことながらこんな風に書けるものかと思わずにはいられない。気持ちわるく、恐ろしく、しかしどこか惹かれるところがある姿と、そのものとの戦いのシーンとは作者の真骨頂だ。


この「海の指」を基に描かれた本書唯一のコミック「霧界」は『銃夢』で知られる木城ゆきとの作品。コミカライズではなく、同一世界(厳密には設定も異なるが)を舞台にしたスピンオフというべき作品で、異世界におけるボーイ・ミーツ・ガールものというジュヴナイル SF の定番シチュエイションで、媒体の変化を上手く消化しているあたりは流石と思う。いい味わいの佳作。


他では収録作品中ずば抜けて長い長谷敏司「震える犬」は AR 技術を意外な方向に用いて読みごたえがあった。円城塔「リアルタイムラジオ」はいつもの円城節でわかるようなわからんような話だけど面白い、でもコミカライズ前提でこれを書くんだ?という怪作。神林長平「あなたがわからない」は古いテーマに現代技術を絡めて料理した面白い着想の一品だが、これもちょっとコミカライズは難しいかなという印象はあった。ただ、描かれているディスコミュニケイションはなんというか若くて、神林先生すげえなと思った。


書き下ろしアンソロジーというとえてして作品の質はばらばらだったりしがちでなかなか手を出しづらい、みたいな印象があるけど、これはいい意味で期待を裏切られた。まあこれだけビッグネームが揃っていれば、というところではあるけど、それでもけっこう難しいものだと思う。作家名にある程度ぴんと来るところがあれば、読んでみてもよい一冊かと思う。