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『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』 スティーヴン・ウィット著/関美和訳 早川書房,2016-09

誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち

誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち

いきなりタイトルにつっこむが、音楽はタダになったのだろうか? 
ある種の人々にとっては、たぶんその通りなのだろう。おれも例外ではない。ここ十年かそれ以上、新しい音楽を殆ど聴いていない。CD も二枚ぐらいしか買ってない気がする。昔聴いてた音楽は今でも聴くからまるっきり音楽を聴かないわけじゃないが、音楽業界にお金を落としているかというと、もうほとんど落としていない。
いやまあ確実に加齢のせいではある。単純に耳が保守的になっている。それは絶対あるのだが、それにしても“タダ”の音楽はじっさいインターネットにごろごろ転がっている。リーガルっぽいのも、イリーガルっぽいのも。そのうちリーガルっぽいのものだけつまんでいても充分満足できるぐらいにあふれかえっている。なんでこんなことになったんだろう、というのは未だに素朴に疑問に思う。フリーミアムってやつ? 売り方が変わった? それはたぶんある面では正しい。でもほんとにそれだけなんだろうか。


本書は mp3 の開発の中心になったドイツ人技術者と、とあるレコード会社の CEO、そして CD 工場で労働者として働いていた男の三人を軸として語られる。
冒頭に置かれているのが mp3 というフォーマットの開発にまつわる話だ。おれはこの辺の話は全然知らなくて、そもそも誰が作ったものかも知らなかったのだけど、いろいろ伝説的に面白いエピソードが含まれていて実に楽しかった。どこへ行っても採用されなくて、初めてついた大口の顧客が NHL(の中継)だったって話とか。それはそれとしてどうしてこの話から?とは思ったわけだけど、ちょっと考えればわかる通り、mp3 というフォーマットは“音楽をタダにする”という過程で不可欠だった。
みもふたもなく言ってしまえば、音楽がタダになっていったのは、インターネットと mp3 とファイル交換システムのおかげだ。当時の HDD の容量では CD をそのままコピーして音楽ライブラリとして満足できるほどの量を所持することは現実的ではなかったのだけど、mp3 はそれをいきなり 1/12 にしてくれた。とはいえ霞から mp3 ファイルが湧いてくるわけでもない。海賊版たちの出どころはどこだったのか。おれはなんとなく漠然と、やる気のある CD 所持者が間違った承認欲求と奇妙な律儀さ(ダウンロードの見返りにアップロードする)に衝き動かされて手持ちのソフトをちまちま mp3 化していたのかと思っていた。でも 90 年代末から今世紀初頭に起きていたことはそんなレベルとはほど遠かったらしい。海賊版の大部分は、出どころをたどっていくとごく少数の集団に行き当たるというのだ。


著者はその集団のひとつの、かつての幹部級のメンバーにインタビューすることに成功する。それがつまり冒頭に書いた CD 工場の労働者の男だ。どうやって盗んでいたのかとかは本書の肝のひとつでもあるのでここでは書かないが、ある意味では奇妙なほど個人的に、一方では大々的に組織化されて、彼らは音楽を世に放っていった。たった一枚流出すれば事実上世界中に広まってしまうのだからその影響範囲は計り知れず、音楽は文字通りあっという間に“タダにされて”いった。しかし、同時期の感覚を思い起こすに、日本ではここまでのことは起きていなかったのではないかと思う(おれが知らなかっただけかも知れないが)。
日本における CCCD(コピーコントロール CD)の導入については、特に今となっては批判的な文脈で語られることが多い。おれも正直あまり好きではなかった。なにか権利を濫用されているような気がしたからだ。だけど、当時の海賊版事情を知ってみると、音楽業界には同情せざるを得ない。日本の音楽業界は海外の惨状を目の当たりにして、いまならまだ間に合うと思ったのだ。そしてなりふり構わず自分たちの音楽に鍵をかけようとしたのだ。ともかくもその気持ちは責められないと今は思う。
でも、それは同時に、iPod が登場して、音楽の聴かれ方が大きく変わろうとしていた当時においては反動でしかなかった。てな話はまあ腐るほどされてるだろうからおいといて、なぜあそこまで必死に CCCD を導入しようとしていたのかということは、この本を読んで初めて感覚として腑に落ちた。


二十年足らずで、音楽業界は本当に大きく変わった。それはある種の必然だったのだ、業界に必要な変化だったのだ、というのは簡単だしたぶん正しい。でももしかすると、もう少しだけ違った変化のしかたはあり得たのかも知れなかったな、と思った。
なんていうおれの興味関心とは関係なく、mp3 の話とか、盗みに盗まれた話とか、長期契約の話とか、普通に面白かったので、興味のある向きにはおすすめです。なんか映画化の話があるそうだけど、気持ちはわかる。