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『精霊の箱:チューリングマシンをめぐる冒険(上・下)』 川添愛著 東京大学出版会,2016-10

『白と黒のとびら:オートマトンと形式言語をめぐる冒険』の続編。まったく普通の意味での続編で、つまりチューリングマシンの入門書とファンタジー小説マッシュアップだ。登場人物も共通だし、作中の時系列も連続しているし、扱っているテーマも関連している。この本に興味があるのなら、まずは前作を読むことをすすめる。


魔法使いとなり、とある肩書きを持つに至った主人公ガレットは、しかしある事情で名前と身分を隠して過ごさなければならなくなる。身を隠すために送りこまれた先は小さな騎士団で、ガレットは新たな魔法を学びながら騎士団の仕事をこなすことになった。登場する魔法は前作ではよくわからない〈操作〉であったのが、本作では少しずつ足し算や引き算のような〈演算〉とみなせるものが加わってくる。
一方前作の終盤で活躍した凸凹学者コンビ、ヴィエン&ユフィンも健在で、本作でも前作の終盤同様主人公を喰うほどの活躍を見せる(というかこちらも主人公と言っていいような気もする)。ふたりはある人物から何種類かの〈操作〉を行うための装置の設計を依頼されるが、それはとりもなおさず〈演算〉を行うためのルールを記述することに他ならなかった。
作中世界では物質界のほかに精霊界が存在していて、魔法はここから力を得ている。詳しくは本書にゆずるけど、呪文を唱えることによって物質界の情報が精霊界に送られて、その中で処理された情報がふたたび物質界に反映される、みたいな仕組みになっている。そしてその処理には数学的なルールの記述がかかわっていて、適切でない呪文を唱えるとその処理は完了せず、術者はしばらくの間意識を失ってしまう。このあたりは前作でちらちらと出てきた魔法のありかたがはっきり説明されていて面白い。この仕組みがあるため、じゃあ精霊界に働きかけて魔法の効果を変えてやろうとかいう話が出てきたりする。


前作にちらっと出てきた人物が本作では思いがけず重要人物だったり(もっとも作者によるともともと本作まで予定していて、逆算して前作にも登場させたとのこと)、ヴィエンやユフィンの出自がそれぞれ語られて味のある活躍を見せたり、小説部分も工夫が凝らされていて楽しい。そしてガレットとヴィエン&ユフィンはそれぞれに世界を救うための戦いに挑むことになる。ここの展開でちょっと残念だったのは、ガレットの戦いは小説の側で、ヴィエン&ユフィンの戦いが数学側になっていたことだ。とはいえこういうストーリーと設定なんだからどうしようもないよなあ……とも思うのだけど。戦い自体は熱くて、これまたよかった。
エピローグを読むに、ひとまずこれでひと区切り、ではあるのだろう。あとがきでは続編についてあるともないとも言及されていなかったが、前作と比べればずっとおしまいっぽい終わり方だった。個人的には、とても綺麗に終われているのでこれはもうこのまま完結ということにしてほしい(続編の存在が物語の終わりを毀損するわけではないと思うけれど)。


作者は「自身の知的好奇心の欠如」がこの物語を書く大きな動機になったと書いていた。ある程度以上のことを突き詰めて知ろうという気になかなかなれない、それは研究者としてはよくないのだけど、でも残念ながらそうだ、それなのに物語だと先が気になって仕方がなくてついついページをめくってしまう、それで物語と解説書を組み合わせた本を作ってみようと思った、のだという。物語の形式で専門知識を解説する手法自体は珍しくないけれど、そこにたどり着いた理由がこういうことなのは面白いと思った。それで実際にページをめくらせる本を書けてしまうというのは率直にすごいし、またネタがあったらこういう本を書いてほしい。そして今度こそライトノベルとして……というのはまだ人類には早すぎるか。もう少し中高生が手に取りやすい値段だったらな、とは本気で思うのだけど。