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『人工知能のための哲学塾』 三宅陽一郎著 ビー・エヌ・エヌ新社,2016-08

人工知能のための哲学塾

人工知能のための哲学塾

哲学はどうも苦手だ。若い頃からだめだった。端的に言えばあんまり興味が持てないし哲学書なんて読み通せたの一冊も無いというか開いたのすら殆どないし……という有様なのだがたぶんそのためにかえって“哲学”というものに対して妙なコンプレックスがあって時々こういう本を手にとってしまう。『生物学の哲学入門』とかも完全にそのパターンだった。もちろん面白そうだとは思って手にとるのだけど、読んでみるとどうも乗れないのだ。


著者は 10 年以上にわたってゲーム内の AI を作ってきた。AI と言っても実にいろいろあるわけだが、本書では広い意味でのノン・プレイヤー・キャラクター、もっと限定すれば FPS の敵キャラクターのようなものを造ることを前提に話が進められていると感じた。
そのような「人間のようにふるまうことが要求されるキャラクター」を作るときに、どうも表面的なふるまいをなぞっていくだけでは中々人間らしくなってくれない、というのが著者の問題意識としてはあるようで、もっと人間と世界とのかかわりを参照しながら AI とゲーム内の世界を関わらせなければならないのではないか、そのためには世界との関わり方の学問、つまり哲学を学んだ方がよいのではないか、ということになる。


なるほど一理ある……とは思うのだけど、昨今の深層学習周りの話を見聞きしていると、おれたちは「わかる」ってことを全然わかってないんじゃないか、と最近少し思うようになっている。コンピュータがなにかを認識したり処理したりしている過程をもはやおれたちは理解できないのに実装できるようになりつつある分野がある。そうだとすると、哲学ってのは人間が理解するための学問なのだから、AI にそれを敷衍するのってそもそも意味あるのだろうか……? と思ってしまうのだ。


とはいえこの本は哲学の本なので、あくまで書かれているのは哲学の話だ。そのような、世界とのかかわりに関する学者や学問が五章に分けて紹介されている。最近ちょっと流行りの「ウムヴェルト」で知られるユクスキュルの話はちょっと面白かった。でも個人的に印象に残ったのはそれぐらいだった。
どちらかというと、同じ著者ならより実装よりの『人工知能の作り方 ――「おもしろい」ゲームAIはいかにして動くのか』の方がたぶんおれの興味には合致していそう。ちょっと手に取る本を間違えてしまったかも知れぬ。