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『残像』 ジョン・ヴァーリイ著/冬川亘,大野万紀訳 ハヤカワ文庫 SF,1980-02

残像 (ハヤカワ文庫 SF ウ 9-4)

残像 (ハヤカワ文庫 SF ウ 9-4)

1970 年代、プレ・サイバーパンクとでも呼べる時期に活躍したジョン・ヴァーリイの比較的初期の作品集。特に初期は短編が創作の中心だったが、80 年代から徐々に長編に軸足を移していった。その辺りから邦訳も減って、1994 年に『ブルー・シャンペン』と『スチール・ビーチ』がハヤカワ文庫から出たのを最後に長らく日本では訳書が刊行されていなかった。この二作はどちらも読んだことがあってそれなりに印象に残っていて、どうしてだろうと思うに大学の SF 研で友人*1に借りて読んだから、というのがあるような気がした。多感な時期、というにはトウが立っていたが、まあ今よりは多感ではあったろう。それで、どういうわけか一昨年ひさびさに日本オリジナルの短編集が出ると、昨年にかけてさらに二冊続き、実に二年で三冊も短編集が出ている。特に新作が出たとか著作が映画化されたとかそういうことがあったわけじゃなくて単に再評価らしく、長く生きているといろいろなことがあるものだと思う。


さておき『残像』。確実に一度は読んだことがあって、しかしさっぱり憶えておらず、特に評価の高い表題作「残像」について全く記憶がないのであらためて買って読んでみた。
面白かったのは冒頭の「カンザスの幽霊」。人格・記憶のバックアップを取る技術が確立された未来で、主人公は執拗に殺害される。そのたびにバックアップから再生されるのだが、誰が、なんのために……?! というシンプルなプロットながら面白い物語だった。意外さともっともらしさがいいバランスで、どうやって可能性を狭めるかが逆に難しくなってしまう SF ミステリとしては上手くやっていると思う。
「逆行の夏」はやたらみずみずしく、ジューヴァナイル SF としてあるいはどこかのアンソロジーに入ってても、という感じの一編。途中で出てくるとある自然の描写が素晴らしく、なるほどこれは行ってみたいと思わせる。でも登場する技術は超超越科学技術というかほとんど魔法レベルで、まあ実現しないだろう。
「火星の王たちの館にて」は前半がヴァーリイ版『火星の人』という感じでわくわくするのだけど(もちろんこっちの方がずっと早い)、オチにはがっかりという感想しかない。
で「残像」なのだけど、根無し草の主人公がアメリカをあてどなく旅してたら不思議なコミュニティに出会う。そのコミュニティは盲聾人によって形成されていて、彼らは音声言語も文字言語も持たず、もっぱら接触を媒介にしたコミュニケーションを行っている。ここでその人たちの障害が風疹症候群であるという記述が差し挟まれているのは SF らしいところ。ただし彼らの第二世代は必ずしも盲人や聾人ではなく、主人公も第二世代のひとりに通訳してもらう恰好でコミュニティに迎え入れられる。うーん。最初はちょっとだけ面白いんだけど途中からの「こういうコミュニケイションすごくない? 素晴らしくない?」みたいな感じが全然だめだった。おれは言葉が好きなんだ。あとオチの方向性も駄目だった。割とあるパターンなんだけど、おれこれ苦手なんですよ。


そういうわけで、まあ単純に忘れてるのも大きかったけど、そもそもあんまり好みじゃなかったというのが『残像』が記憶に残ってない最大の原因ではあったのだろう。それが確認できたのはよかったかな。個人的にはあまりおすすめできません。

*1:id:tea2。『バービーはなぜ殺される』もこの男に借りた。元気でいるだろうか