黄昏通信社跡地処分推進室

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結婚記念日——の前日なのだけど、諸般の事情によりこの日にデート。息子は学校の放課後遊び、娘は幼稚園の延長保育に放り込んでふたりで出かける。森美術館レアンドロ・エルリッヒ展」。
エルリッヒの作品は日本では金沢 21 世紀美術館の「スイミング・プール」が一番有名だと思うんだけど(おれもそれしか知らなかった)、あれが典型的な作風で、鑑賞者の感覚を欺き、また鑑賞者が作品に参加することを通して鑑賞者の意識を揺さぶってくる、という作品が多い。わかりやすく言うと「トリック・アート」だ。トリックアートというと昔ながらの観光地にあるいなたい美術館——みたいなイメージはあるけれど、参加させて感覚を欺くことで意識を揺さぶってくる、という点ではすごく近いものがあると思うんだよね。
たとえばポスターのビジュアルにもなっている《建物》という作品なんだけど、これはある建物の前面の壁が床につくりつけられている。それは一目瞭然だし、写真を見てもすぐに想像がつくようなトリックだ。だけど、現物を見るとその前に俯角 45 度に傾けられた壁と同じ幅の鏡が設置されている。鑑賞者は壁の上に乗ると、否応なしに垂直に立っている壁の胸像を見ることになる。それを見ると、もちろん普通に立っていてもいいはずなのだけど、つい壁にぶら下がっているような演技をしたくなってしまう。壁には窓や柵があって、つかんだり足をかけたりできるのだ。そして、ほかの鑑賞者たちが別の窓でやはり同じような演技を試みているのを見ることになる。その駆り立てる力と、鑑賞者同士がおたがいを演技者として認識するような構造が面白くて、それは斜めの鏡を立てることで初めて成立している。
あるいは《試着室》。洋服店の試着室そっくりの小部屋に入ることができて、小部屋の三方には同じ大きさの鏡が設置され、鏡が向き合っている方向では無限に部屋が続いているように見える。ところが、実際には鏡がはまっていないない壁があって、そちらの側は開口部の裏に鏡写しの試着室が作られている。そして鑑賞者は開口部を自由に通り抜けることができる。入ってみると、まあおれと妻だけかもしれないのだが、案外鏡のない方向を向いても鏡があると思ってしまうもので、どちらに進めてどちらに進めないのかぱっとはわからない。その中を歩く感覚は、自分が普段あてにしている視覚とか景色とかがいかにあやふやなものかというのを突きつけてくる。そして時々思いもかけないところから登場する他の鑑賞者が、自分もまた演技者であるということを思い出させてくれる。
この文脈上に《スイミング・プール》はあるわけだけど、あれはすごくよくできているなあとあらためて思った。プールの中に人が歩いているという感覚の揺さぶり方、おたがいの視線が水越しに交差するというギミック(つい向こうにいる見知らぬ人に手を振ってしまった、という人は多いのではないだろうか?)、出演者がいて初めて完成する絵づら、それが常設展示としてずっとあることも含めて素晴らしい作品であると思う。
それらとは少し離れて、日常に存在する“窓”から景色を切り取ってくる趣の作品も多かった。それは文字通り飛行機の窓であったり、電車の窓であったり、ドアのレンズ付のぞき穴であったり。こちらは趣向からしても見られている感覚はなく、風景や事物を切り取ってきたという感じ。窓のブラインドの隙間から他の家の裏窓(の動画、各々ループしているらしいが結構長い)が 15 個ぐらい見える《眺め》が面白かった。まんまウィリアム・アイリッシュアルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』の状況を再現したみたいな感じなんだけど、全部の窓を一度に視野に収めることはできなくて、それだけに延々と見てしまう。あと《失われた庭》はこのカテゴリと上で書いた鑑賞者/演技者のカテゴリとの橋渡しになるような作品で、アイデアがよかった。
そんなこんな、楽しい展示でした。わりと早く見終わっちゃうのが寂しい感じ。


さてそのあとは併催のコレクション展をちらっと覗いたり(軽い気持ちで見られて思ったよりずっとよかったです、さすらい地蔵とか面白かった)、下のほうのフロアのショップを冷やかしたりしてからバルバッコアでお昼ごはん。気が済むまで肉を食べる時間が人間には必要だと思うわけです。ここはサラダバーがやたら充実していてついついいろいろ取っちゃうんだけどそうするとあんまり肉が食べられないみたいな罠がある。とはいえ人として野菜食べた方がいいからこれでいい気もする。もちろん肉もいろいろ食べた。必殺技「もう一枚おねがいします」も駆使しつつがっつり食べてやった。どれもおいしゅうございました。焼きパイナップルだけがちょっと残念だったかな。


もうちょっとあったんだけど、とりあえずここまで。
とても楽しい一日でした。結婚して 12 年、これからもこういう日を持ちたいです。来る一年もよろしくね。