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ル・グウィン作品の思い出

アーシュラ・クローバー・ル・グウィンが亡くなった。享年 88 とのことで、ついに……という感じはある。
「ゲド戦記」作者A・K・ル=グウィン氏死去 88歳 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
たぶん小学生の頃『ゲド』三部作を読んで、すごく面白いと思い*1、長じてからは今度は SF 作家として再び出会った。『ロカノンの世界』『闇の左手』『所有せざる人々』という順で読んだと思う。闇の左手は暗くて冷たい惑星のイメージが強烈に残っていて、逆に言うとストーリーは本当に全く覚えていない。所有せざる人々はタイトルの通り私有という概念を持たない人たちの社会の物語で、地に足が着いていたのがよかった。男女平等がごく自然に実現されているところも今思うとなかなかのものだ。いわゆるユートピア、ではなくて、人々は額に汗して働いて明日の糧を得ている。それが押しつけがましくなく描かれていたのはよかった。


エッセイ集『夜の言葉』も印象深い。人物を描くにあたってどのようにしているかという創作論もあれば、フィクションにも無意識に忍び込んでいる差別主義を糾弾するエッセイもあった(ニーヴン「無情の月」を非難する口ぶりの辛辣なことといったら)。大学生の頃読んだと思うんだけど、こういう観点からフィクションを批判することもありなのかと思った。一度だけ、プレイボーイ誌に短編を掲載されたときにファーストネームをイニシャルにしてもよいかと問われてうっかり承諾してしまったことを今でも悔やんでいる、というエピソードをどういうわけかおれも今でも憶えている。


中期の怪作『オールウェイズ・カミングホーム』や後期の作品『言の葉の樹』は父親が文化人類学者であるという出自の影響を感じさせる作品だけどとにかく地味で読みづらかった。特に前者はこれを作品になるまで作り上げるのはすごいなと率直に思った。
短編集もそれぞれによかった。中東の架空の国を舞台にした初期の連作『オルシニア国物語』、おなじく初期の短編集で「オメラスより歩み去る人々」が収録されていることでも知られる『風の十二方位』は最近復刊されたので手に入りやすくなった。後期の短編集『内海の漁師』の表題作は浦島太郎を下敷きにした少し風変わりな作品だった。


後期の『西の果ての年代記』はわくわくするような世界設定の下繰り広げられるファンタジーで、さまざまな「ギフト」を持つ者と持たない者について描いた作品。ギフトそのものも魅力的であったし、与えられたギフトに対してどうふるまうのか、ギフトをどう使いこなすのか、そもそも自分はギフトを持つ者なのかという問い……といったことにもたっぷり紙幅を費やしているところがいかにもこの人らしい。といいつつ、おれ全三部のうち二部までしか読んでないんだよね。近いうちにあらためて三部通して読んでおきたいところ。


一番好きな一冊をあげるなら『世界の合言葉は森』になると思う。表題作と「アオサギの眼」という中編二編のカップリング本だ。前者は異文化同士の衝突と一方的な簒奪を環境問題に絡めて描いた作品なんだけど、あからさまなマッチョが登場するのが珍しく、どうしても「わかりやすい悪人」ポジションになってしまっているのがやや雑な手つきかなあというところ。ただそれに隠されるように先住民側の非道な行為がさらっと描かれるのはすごいところでもある。後者もやはり異文化の衝突ものなのだが、こちらは母星から見捨てられた植民星のそれぞれ出自を別にするふたつのコミュニティが並置されて描かれる。後半の苦い展開と割り切れなさ、若い登場人物たちのみずみずしい成長が心に残る。


そんなわけで、数え上げてみるとやはり結構読んでいるし、好きな作品もいくつもあるし、たぶん意識の有無にかかわらずいろいろな影響を受けた。感謝というとちょっと違うかもしれないけど、でもやっぱり感謝している、のかな。どうか安らかにお休みください。

*1:三回ぐらい読んでると思う、そのわりには憶えてないんだけど