黄昏通信社跡地処分推進室

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2017下半期総集編(その1)

サボってたのでまとめてやるぜ!(だめな発想)

『東京地名考』(上・下) 朝日新聞社会部 朝日新聞社,1986-01

東京地名考 (上) (朝日文庫)

東京地名考 (上) (朝日文庫)

東京地名考 (下) (朝日文庫)

東京地名考 (下) (朝日文庫)

古書明日(twitter)で見かけて手に取った本。元は朝日新聞で昭和56年から昭和58年にかけて連載されたコラムで、それが単行本になり、おれが読んだのはさらに文庫になったもの。
東京都の 23 区と島嶼部以外の市町村をひとつひとつ取りあげ、その中の町名の由来や来歴を語っていく。流石に全部の字を取りあげたりはしていないが、それでもかなりの数の町名が登場する。その過程でおそらく、少なくともコラムでとりあげた町についてはすべて現地を歩いていて、その町の「いま」も寸描している。
実のところ、町名の由来というのは往々にしてはっきりしない。いつ頃から呼ばれていたかですらざっくりとしかわからないことが多く、ましてなぜそう呼ばれるようになったかとなるとはっきりわかる方が稀であるようだ。本書はその辺りの態度が基本的に謙虚で、かなりはっきり判明していない限りは「不明」とする、という方針をとっているようだ。面白い説とか見つけたらつい採用したくなっちゃうものだと思うのだけど、そこはぐっとこらえて、ある程度以上の信憑性がないものについては紹介はしても結論としては「不明としておこう」という記述に留めているようだった。
町名というのは町のなりをあらわしているが、町がうつろいゆく速度は町の名前が変わるよりもはるかに速く、しばしば何かの名残のようにふるい町名だけが残る。それはその土地に根付いた最小単位の歴史である。住居表示の名のもとに利便性を採って歴史を切り捨ててしまったことが本当に正しかったのか。そうは言っても古い町名は戻ってこない以上、せめて由来の記録を残すことには大いに意義があると思う。そういうことを抜きにしても単純に楽しく、面白い本でした。おすすめ。

『心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで』 キャスリン・マコーリフ著/西田美緒子訳 インターシフト,2017-04

心を操る寄生生物 :  感情から文化・社会まで

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで

これはいまいちだった。
最初の方はめちゃめちゃ面白くて、いろいろな寄生生物が宿主を文字通り操るさまが紹介されてるんだけど、こんなことあるのかよっていうような例がいくつも出てくる。ハリガネムシがコオロギの体内に入って、そのコオロギを川に飛び込ませる、のはたぶんわりと有名な話で、それですら相当信じられないような話だけど、もっと信じられないような例がいくつも出てくる。そして、厳密に言うと正確な機序はわかっていないのだけど、ハリガネムシが生成した物質がコオロギに異常行動を起こさせていることはどうやら確からしいのだ。


それと、人間の生理的な反応の話が出てくる。ある種の視覚パターン(いわゆる「蓮」とか)や、ある種のにおいなどに対してわれわれは何故嫌悪をもよおすのか。それは生きのびる確率を高めるためだったはずだ。だから万人に普遍的にそのような生理的反応が組み込まれている。
他方、普遍的でないものもありえたはず、と作者は語る。たとえば気温が高い地方ほど強い香辛料が好まれるように。そのように、我々は住んできた地方によって思考にも差が生じているのではないか——作者はそう主張するのだが、この辺は危ういし、客観的な証拠が全然ない。妄想を基にそんな危険な仮説を振り回されてもなあ、というのが正直なところ。


人間に寄生生物がどう影響を及ぼしているか、については、確かめようがないというのが現実だろう。頭や腹をかっさばかずに寄生生物がいるかどうかは確かめられないし、実験のために寄生生物を投与するわけにもいかない。そのあたりはもどかしいところだけど、まあそれはそういうものだし、そういうものである以上軽々しいことは決して言えない。作者だってそれをわかっていないはずはないとも思うけどね。

『時間のないホテル』 ウィル・ワイルズ著/茂木健訳 東京創元社:創元海外SF叢書,2017-03

時間のないホテル (創元海外SF叢書)

時間のないホテル (創元海外SF叢書)

出だしが素晴らしい。世界中にある巨大ビジネスホテルチェーン《ザ・ウェイ・イン》に泊まっている主人公が、その一室で目を覚ます。どこに行っても同じような建物、同じような調度の部屋、同じような快適なサービス。主人公はそのチェーンのホテルを愛しているが、滞在の目的は旅行ではなく、隣接する巨大コンベンションセンターで開催される展示会に参加するためだ。今回参加する展示会は「展示会の展示会」で、各業界の展示会を仕切る業者のための展示会だが、主人公は展示会業界の人間ではない。実のところ何業界の人間でもないが、しかし仕事として展示会に参加している。展示会参加代行業とでもいうべき業務を請け負っているのだ。忙しい請負元の代わりに展示会に出席し、指示されたセミナーに参加して情報を仕入れ、業界の最新の動向を盛り込んだレポートを作成して請負元に提出する。請負元は展示会に何日も拘束されずに必要な情報を仕入れられて、代行人は場合によっては複数の請負元から多重代行してより効率よく稼ぐ。仕事は順調、しかしひとつだけ、ゆうべホテルのバーで壁にかかっている抽象画を写真に収めていた謎めいた女性のことだけが気にかかっていた……。


これでどれぐらい魅力が伝わっているかわからないけど、画一化されたホテルの魅力と、巨大展示会のそこはかとない不気味さ、そこにある種のハッカーとして入り込む主人公のユニークな立ち位置、どれをとってもぐっとくる題材で面白くなりそうな予感しかない。
しかし実際のところいまいちだった。最初の四分の一ぐらいでトップスピードに乗ってそこから先は失速する一方だった。主人公はくずだしぼんくらだ。個人的な意見だけど、主人公がくずでもいいし、ぼんくらでもいいんだけど、「くずでぼんくら」だときつい。
展開としても、途中で展示会側との対立があって(このシーンはすごくよかった、主人公が匿名性を剥奪されるんだけど、この恐ろしさたるや)、主人公は展示会からたたき出されてしまい、なんとか再びもぐりこもうとする。……とくれば、愛してやまないザ・ウェイ・インになんらかの形で力を借りて巨大展示会に立ち向かうみたいな展開を期待してしまうのだが、そうはならない。いやまあならなくても全然いいのだけど、じゃあ主人公のホテル愛なんなの、とか、この対立のシークエンスなんなの、とか思ってしまう。
ホテルのえらい人の名前が「ヒルバート」だったりとか(もちろん綴りは Hilbert だ)、細かいところもいちいち好きなんだけど、真ん中より後ろはことごとくいやー、そっち行っちゃうかー、みたいな展開だった。残念でした。

メアリと魔女の花』 米林宏昌監督 スタジオポノック,2017

ジブリから独立したプロデューサーの西村義明が設立したスタジオポノックの劇場映画第一作。原作はメアリー・スチュアートの『小さな魔女のほうき』で、ストーリーや登場人物などは比較的原作に準拠しているところが多い。元気だけどちょっと空回りしている主人公の女の子、閉塞的な状況、ちょっと楽しくてちょっと恐ろしい非現実要素、などは監督の過去の作品『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』にも共通する要素で、多くの人がジブリ作品になんとなく求めるフレイバーでもあると思う。そのフレイバーに忠実に作られている作品で、面白くてわくわくしてどきどきして絵もめっちゃ綺麗なので満足感はすごく高い。ただ突き抜けたところも感じられなかったなという印象は残る。米林監督もこういう作品を重ねていって、よりある種のどぎつさみたいなものが見えてくれば面白いなと漠然と思うけれど、今のところは良作の作り手という感じ。

『SF マガジン 700 −創刊 700 号記念アンソロジー− 【海外篇】』 アーサー・C・クラーク他著/伊藤典夫他訳/山岸真編 早川書房:ハヤカワ文庫SF,2014-05

ちょっと前に出た、SF マガジン 700 号記念アンソロジーの海外篇。すべて短編集初収録ということであまり期待はせずに読んだ。これについては施川ユウキが『バーナード嬢曰く。』でやっていたネタ「(これほどの作家なのに)これまで単行本に入ってなかった話なんて面白いわけないだろ」に尽きるわけで、体感的にも例外はほとんどない。この本もまあ、例外だったとは言えないと思う。それでも頑張っている方ではあったかな。
「遭難者」はほとんどショートショートの長さだけどクラークのクラークらしい奇想と叙情性があってちょっとよかった。シェクリイ「危険の報酬」は今見るといろいろかっこわるいんだけど二周目に入ったみたいな面白さがある。「夜明けとともに霧は沈み」ジョージ・R・R・マーディンは異星の文明に対するオリエンタリズムみたいものをテーマにした話を複数書いてて、これもそれ。視点は悪くないけど地味だった。スターリング「江戸の花」はまさにオリエンタリズム満載のエセニッポニズム SF。可もなく不可もなく。「いっしょに生きよう」はタイトルからして後期ティプトリーがよく書いてた非人間生物もの、で面白くなくはないけどこれも地味。イーガン「対称(シンメトリー)」はイーガンらしいアイデア SF なんだけど普通にわかりづらいし華やかさもなくてまあこういうのもあるよねって感じ。「ポータルズ・ノンストップ」はコニー・ウィリスらしい手つきのユーモラスな中篇なんだけど、いかんせん日本人は題材になってる人に馴染みが薄すぎてそりゃ収録されねえよなという他なし。バチガルピ「小さき供物」はショートショート、バチガルピらしい問題意識だけど題材は目新しさなし。
で、最後のテッド・チャン「息吹」がずばぬけて素晴らしかった。ある人たちの社会を描いた掌編なのだけど、こめられた謎と、描かれる世界そのものが持つ叙情性とがかみ合っていてえもいわれぬ切なさがあった。もう少し読んでいたいような気がしたり、でもこの長さだからこそ持てる味わいなのだろうなと思ったり、とにかくよかった。さすがにこれのためにこの本一冊買えとは言いにくいけど、でもこれはみんな是非読んでほしい、と思った。

『裁判所の正体:法服を着た役人たち』 瀬木比呂志,清水潔著 新潮社,2017-05

裁判所の正体:法服を着た役人たち

裁判所の正体:法服を着た役人たち

対談本。元裁判官の瀬木氏に、ノンフィクションライターの清水氏が裁判所の実情を聞く、という内容。どこまでいっても「n=1 の本」なので、そこら辺は相当割り引いて読まなければならない、のだと思う。それにしても面白くはあって、裁判所というシステムの内側を垣間見ることができる(気分になる)。端から見てもあの人たちこそが日本最強の「誤ったら死ぬ病」患者の人たちだよなあ、と思うことは多いけれど、本書を読んでいるとある程度はそれは正しいということがわかる。おそろしいのは、システム全体が(人事権という直接的な権力を用いて)そういう裁判官を順次養成していくような土壌になっているということだ。まあそれもこれも n=1 を信じればですけど。
細かいところでは、最高裁判所は大勢に影響のないところでは「ガス抜き」的なリベラルな判決をしばしば出す、みたい話は面白かった。総じてさもありなんという雰囲気はあって、「法服を着た役人たち」というタイトルはなかなかいいと思う。

『外道クライマー』 宮城公博著 集英社インターナショナル,2016-03

外道クライマー

外道クライマー

いやーひどい。ひどいぜ。冒頭から那智の滝に登って警察官に逮捕されるエピソード*1が書かれてるんだけど、モラルもなにもあったもんじゃなくて、ただ登った奴がいないから登る、みたいなノリ。とはいえ探険というのはそもそもそういうものではある。誰も行ったことがないところに行く、誰も登ったことがない山に、滝に、岩を、氷壁を、登る。そしてそれは現代社会とは基本的に相性が悪い。那智の滝に登れば怒られるし、未踏の山なんて残ってないし、自己責任で危険に挑んでも叩かれる。しかし著者はそれを恨むでもなく、どうにか折り合いをつけて探険に挑んでいく。それは楽ではないし商売になるようなものでもない(場合によってはスポンサーもつくことがあるそうだが、どちらかというと「見かねて支援してくれる」というような感じであるらしい)。短期の労働でお金を稼ぎ、まとまった休みを作ってその金で探険に挑む。おれが若いころ読んでいた山岳小説や登山エッセイに登場する昭和の山屋たちの姿と本質的に変わりのない生活サイクルだ。
昭和の山屋と違うのは、自分の挑戦を書くにあたってかなり自虐的なスタンスをとっていることだ。自らを「セクシー登山部」と名乗ってみたり、道化めいた振る舞いの記述もかなり目立つ。ある種の照れというかかっこつけではあるのだろうけど、コンテンツとしても今の世の中こういう方向じゃないと通用しないだろう、みたいな判断もあるのかもしれない。たとえばそういうところや、あとは個々の冒険に関する記述に際してもそうなのだけど、著者の冷静で客観的な姿もしばしば垣間見える。そのあたりは面白いなと思った。
本書を貫く一番メインの冒険が、もちろん実際には苦難に満ちたものであったのだろうけど、はたから見ている分にはものすごく盛り上がるというものでもなく、しかしユニークと言えば非常にユニークで、なんとも当世風だった。「10 年代に成立する冒険もの」のひとつの回答ではあるかな。

*1:2012 年の出来事なのでちょっと調べればインターネットでの言及はいくらでも見つかる。