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『母の記憶に』 ケン・リュウ著/古沢嘉通訳 早川書房:新☆ハヤカワ・SF・シリーズ,2017-04

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

母の記憶に (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)


『紙の動物園』で一躍名をあげたケン・リュウの日本二冊目の短編集。とにかく多作らしい著者だが、今回の短編集にも実に十五編が収録されている。一冊目が素晴らしかっただけに二冊目でどうかな……とも思ったのだがそれは杞憂で、個人的にはこちらの方が好きかもしれないというぐらいだった。以下収録作品についてざざっと書いておく。
「烏蘇里羆」(うすりーひぐま)は並行世界の旧満州を舞台にしたヒグマ狩りの話。身体を半分機械化した日本軍の男がヒグマと対峙するのだが、その機械が蒸気機関であるところが並行世界たる所以。そしてヒグマ側にも想像のつかないような秘密があり、アジアン・スチーム・パンクと言った趣がある。しかし戦闘シーンとその前後は緊迫感に満ちた描写でやたらと熱い。
1645 年の揚州大虐殺を舞台背景に置いた「草を結びて環を銜えん」は SF 要素は全く持たないもののここに収録。美しく機転が利いて心優しい遊女緑鶸と、その小間使いである主人公の少女雀との交流が描かれるのだが、冒頭から漂う不穏な気配は気配で終わらずとうとう悲劇がもたらされる。作者の抒情性が如何なく発揮された切ない一品。「あたしは自分が願っているように生きるのを止めたくないんだ。」という科白は苦く重い。
「重荷は常に汝とともに」はショートショートコメディ。みもふたもなくて笑ってしまう。
表題作「母の記憶に」もさして長い作品ではないが、SF でお馴染みの相対的な時の流れというやつが何をもたらすかに向き合った作品。このアイデアをこの切り口で、この長さで料理してしまうのが作者のすごいところ。
「存在」も短めの一篇で、これはテレプレゼンスが主題。少し未来に来るガジェットから世界の在り方を想像して描いてみせる、圧倒的に王道 SF で、こういうのを書くのは本当に難しくなってしまったがケン・リュウは衒いなく直球で書いてくる。
人格の記録をもとにシミュレーターを作れるようになったら、というのを中心のアイデアに据えたのが「シミュラクラ」。ニューロマンサーの ROM 構造物とか、もちろんそれ以前からもあるような古い題材なんだけど、だいぶ近づいてきた現在ではどう描けるかというののひとつの答え。こういう風に人間の闇を絡めてくるのはインターネット時代ならではかなあ、とも思うけどまあ人間なんてその前からろくでなしはいっぱい居たよな……とも思う。
「レギュラー」は近未来の連続娼婦殺人を追う女探偵が主人公。主人公は肉体も頭脳も強化されまくってて、自らの能力を恃みに犯人を追い詰めていくんだけどもうめっちゃイーガンぽい。イーガンこういう話書いてなかった? と思うほどだったけどそれはそれとしてどきどきして面白かったので全然問題なし。というかこんなのも書けるのか。著者の多才ぶりと器用さが如実にあらわれた短編。
AI がしでかしたことについて誰が責任を取るのか——「ループのなかで」はこれまた SF 的には新しくないけど現実世界にその実体が見えてきた問いを拡張して起きるべき近未来を描く。これは現実世界と地続きも地続き、ほとんどすぐ先に見えている世界で、「存在」同様古き良き王道 SF だ。
「状態変化」は現実世界にちょっぴりファンタジー要素が入り込んだ世界のものがたり。あらゆる人は魂をその人固有の物体の中に持っていて、その魂から物理的に遠くへ離れることができない。そしてその物体が損なわれるとその人の命も失われてしまう。そんな世界でひとかけらの氷に魂を宿して生まれてしまった主人公の半生が描かれる。なにしろその氷は手元に持っておかなくちゃいけないし、それが融けたら死んでしまうので、めちゃくちゃ行動が制限されるのだ。
「パーフェクト・マッチ」はクールなワンアイデア SF。電子ショッピングモールのサジェスト機能があらゆる状況にあまねく行き渡ったら、というお題なのだけど、まあそんなのディストピアにしかなりようがないわけで。そうなった世界の描き方はいろいろあると思うんだけど、著者はあえて昔ながらの監視社会的なディストピアを持ってきた。おれたちの現実はどこまでここに近づいているのか。
著者一押しが「残されし者」ということなのだけど、これは個人的にはあんまりぴんと来なかった。シンギュラリティと、それに背を向けた者たちの生きざまを描いているのだけど、どういうわけかおれにはあまり切実なものに感じられなかった。
生命の在り方をめいっぱい模索してみせるショートショートが「上級読者のための比較認知科学絵本」。いろいろな生物?が登場する。おれは以前からもし地球外生命体が存在するなら、もうまったく我々の想像を絶するしコミュニケイションも不可能なんじゃないかとなんとなく思っているのだが、その思いと重なるところがあって楽しかった。
「訴訟師と猿の王」も「草を結びて環を銜えん」と同じく揚州大虐殺が舞台背景にある非 SF 作品。正義を貫く訴訟師がかっこいい一品。
アイダホに一時期かなり大きなコミュニティを形成した中国人移民を描いた中編が「万味調和——軍神関羽アメリカでの物語」。地元の米国人少女の視点で書かれる異人としての中国人の描写が見事で、そこに伝説の男関羽を臆面もなく重ねてくる趣向がケン・リュウ自身の出自を考えると面白い。後半の「もちろんあの人は死んでいない」からのこれでもかと段落をたたみかけてくるところは文字通りの圧巻で、おれにしては実に珍しいことにフィクションを読んでいて泣きそうになってしまった。
トリを飾るのは「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(<パシフィック・マンスリー>誌二〇〇九年五月号掲載)」。これはよかった。本書の中では一番好きだ。排ガス規制が世界的に強化されて、事実上飛行機が使えなくなった近未来での話*1。代わりに空輸を担うのは飛行船で、本作ではある貨物船の長距離飛行の数日間を追う。ストーリーらしいストーリーはないのだけど、目に浮かぶ静謐な世界が素晴らしく心地よかった。まあ正直言うとおれは飛行船が出てくるだけで四飜増しぐらいの評価をしちゃうので*2他の人がどこまで気に入るか逆に全然わからんのだが、それでも下手な勝負はしないだろうと思う。


とまあそんな感じで多作な上に多彩も多才、これだけの水準の作品をこれだけ並べられる作家はそうはいるまい。まだまだ作品があるはずだし、どんどん訳されてほしいものだ。

*1:航空機の CO2 排出量はものすごいらしいので、まるであり得ない未来とは言い切れない……といいたいところだが、現実には航空業界がそんなことを許すとは考えられないか。

*2:『晴れた空から突然に…』とか好きだった