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『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』 ヘンリー・ペトロスキー著/忠平美幸訳 平凡社:平凡社ライブラリー,2010-01

フォークの歯はなぜ四本になったか (平凡社ライブラリー)

フォークの歯はなぜ四本になったか (平凡社ライブラリー)

主に道具や工具を中心とした、実用品のデザインの進化に関する本。これは面白かった!
フォークの歴史は意外に浅く、せいぜいここ二百年内のものらしい。それまでは西洋人は食卓であってもナイフを二本持って食べてたんだそうである。切った肉をナイフの先で刺して喰ってたのだが、まあ、それだと危ないし、切るときにも細い先端で押さえていると肉が回ってしまう。それで、肉を焼くときに使っていた二叉のフォークが食卓に進出して、やがて歯が三本になり四本になりと進化していった。
本書の一貫した主張は「形は機能に従う」というまことしやかに言われている言葉は嘘っぱちだ、ということだ。そのことはこの本の中で形を変えながら何回も述べられる。ではどのように形は決まるのか? それは失敗に従うのだ、と著者は言う。ナイフでは口を切るから先が丸くなる。一本で押さえると回ってしまうからフォークで置き換えられる。二本だと押さえる以外のとき使いづらいので歯が増える。小さいものも食べるようになるので、すくうために歯に丸みがつく。形が機能に従うのであればいきなり四本歯のフォークが登場してもいいはずだが、そうはならない。うまくいかないことに対するフィードバックでしか形態は変化しないし、そうやってじわじわ進歩していく。


その主張を措いておけば、あとは個別の実用品の進化の歴史がいくつも紹介されている。
ゼムクリップ。針金を曲げて紙を束ねる単純な道具だが、現在の形に辿り着くまでには意外に変遷を遂げている。おれは二十代の頃に突然「ゼムクリップすげえ……」と気がついて、そのエレガントな形と単純な構造で機能を果たしていることに感動したものだが、そういう人は多いらしく、著者は「ゼムクリップ完璧だって言いたがる奴は多いよな」みたいな調子で書いていてちょっと笑ってしまった。
ポストイットの話。もともとは接着剤の開発中に「すごく弱くてすぐ剥がれる接着剤」ができてしまったのが出発点らしい。それをなにかに使えないかとキープしておいたところ、自動車の塗装時に使うマスキングテープが欲しいという需要があって、じゃああの弱い接着剤を使おう、ということで紙に弱い接着剤を塗布したものができたのだそうだ。なるほどマスキングテープとポストイットには通底するところがある。実際にポストイットとして発売されてから売れ始めるまでにはタイムラグがあったというのも面白い。
ファスナー(衣服の、いわゆる「ジッパー」)。これはものすごい苦労があったようで、最初はトラブル頻発、ほとんど役に立たないレベルだったらしい。それを改良していって実用レベルまで持っていったのはほぼひとりの技術者だったとか。ただしその後も進化や発展は続いていて、たとえば現在の洗濯ネットなんかで使われているプラスティック製のファスナーでは左右の務歯はらせん構造になっていて、これは当初の形からおよそかけ離れている。
……とまあこんな調子であげていけばきりがないが、個人的にはこの辺の具体的な話が一番面白かった。
あと、完璧なデザインはあり得ない、という話が面白かった。コストや材料や大きさやレイアウトといった様々な制約の中でデザインってのはどこかで妥協しなければいけないということなんだけど、複数の名うてのデザイナーが「自転車の再デザインはやりたくない」と言っているらしい。明らかに完璧にはほど遠いのだがこれ以上ましな妥協点が見いだせる気がしないから、みたいな理由らしくて、それはすごく面白いなと思った。


総じてかなり面白い本で、道具に興味がある人なら読んで楽しめると思う。
おれの中では『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』(→おれの感想)に少し近い。本書が好きな人はこちらも読んでみるとよろしいかと。