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『アドルフに告ぐ』 全三巻 手塚治虫著 講談社:手塚治虫文庫全集,2010-07

アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫文庫全集)

アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫文庫全集)

アドルフに告ぐ(2) (手塚治虫文庫全集)

アドルフに告ぐ(2) (手塚治虫文庫全集)

アドルフに告ぐ(3) <完> (手塚治虫文庫全集)

アドルフに告ぐ(3) <完> (手塚治虫文庫全集)

手塚治虫後期の代表作のひとつ。第二次世界大戦時の日本とドイツを舞台に、アドルフというファーストネームを持つ三人の人物の運命が交錯する様を描く。ひとりが日独混血のアドルフ・カウフマン、ひとりがユダヤ人のアドルフ・カミル、もうひとりがアドルフ・ヒトラー狂言回しの位置にあるのが主人公の峠草平で、その弟がドイツで不慮の、かつ不審な死を遂げたことから物語は動き始める。
カウフマンとカミルは同じころ共に神戸で育ち、いじめにあっていたカウフマンをカミルがかばったことからふたりは立場を超えた友情をはぐくむ。しかし厳格なドイツ人外交官の父親を持つカウフマンとパン屋の息子であるカミルの立場は年を重ねるにつれて離れていく。そこにカミルが知ってしまったある「秘密」がふたりの仲を大きく阻んでしまう。
草平は弟の持っていた「秘密」――これはカミルの知った「秘密」と同じ事実――を最初は探り、途中からは守る形で物語とかかわる。元陸上部の新聞記者という典型的なタフガイで、ドイツの情報部員や特高警察を向こうに回して大立ち回りを演じるが、こういうアクションを描かせても一流の面白さがあるあたりは本当に感心してしまう。いまさらこんなこと言うのほんとに失礼だがさすが漫画の神様である。草平が行く先々で女の人にもてまくるのは週刊文春という掲載誌の要請によるものか、あるいは単にエンターテインメントとしての志向なのか、いずれにしても個人的にはいささか度が過ぎている印象を受けた。
カウフマンは父親に半ば無理矢理従わされるかっこうでドイツに渡り、やがてヒトラーのお気に入りになる。カミルは神戸に残りユダヤ人コミュニティの中で育つ。ふたりの進む道は完全に分かれるが、それでもふたりはおたがいを信じられる友人だと思っていた。だがそれもある事件をきっかけに完全に修復不能な関係になってしまう。このあたりの無情はよく描けているが、エルザの存在が破綻を決定的にすることはかえって運命の残酷さを薄めることになっているのではないか。


やがてドイツは急速に敗戦に向かい、ヒトラーは無残な最期を遂げる。物語はそこで終わらず、後年異国でカウフマンとカミルが再会するに至るのだが、連載終盤にあたる時期に手塚治虫が入院していて休載した時期があったらしく、終盤の展開はものすごく駆け足になっている。最初から連載期間が決まっていて、この時点では次の連載も決まっていたので終了時期を動かすことができなかったということらしいのだが、今ではおよそ考えられない事態であるように思う。手塚本人もあとがきにあたる文章で予定していた様々なエピソードを諦めざるを得なかったというようなことを書いていて、この辺りは不本意な展開だったようだ。
ともあれ、粗削りな部分も多いが、一級品のエンターテインメント。おすすめというほどではないけれど、普通に面白かった。