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『言語の興亡』 岩波書店:岩波新書,2001-06 R.M.W. ディクソン著/大角翠訳

言語の興亡 (岩波新書)

言語の興亡 (岩波新書)

オーストラリアの言語学者が、自身の経験と知見をもとに言語の発生〜発達とその変化、拡散、終焉にいたるまでのメカニズムを考察した本。(いわゆる)インド=ヨーロッパ語族においては比較的よく当てはまる系統樹的なモデルが、世界の多くの地域多くの言語ではうまく当てはまらないことが多いという著者の認識を元に、系統樹モデルに頼るのは危険だ、それ以外のモデルを構築すべきであるという主張が面白い。著者は生物学で提唱された「断続平衡モデル」が言語においても適用できるのではないかという提案をしている。変化の小さな長い期間(平衡期)と短く大きな変化をする期間(中断期)が周期的に訪れる、というもので、現代は変化期にあたるというのだ。それなりに説得力のある言説とは思うが、他分野の理論を脈絡なく借りてきただけという感じもあり、妥当性はやや疑問かもしれないと感じた。とはいえ系統樹モデルが万能ではないというところまでは説得力があり、書きぶりからして当時の言語学界では万能に近い扱いだったんだろね、という印象。
それと、少数話者になった言語は基本的には滅びる、と言い切っているのは面白かった。特に多数話者の文化圏と密接な関係を持つ場合はその傾向はくつがえしようがないのだという。少数話者のほうには多数話者の言語を学ぶインセンティヴが発生するが逆では発生しないし、親が自分の子たちには最初から多数言語を話させたりするし、というわけで殊更禁止とかしなくても滅びに向かうものらしい。これはすごく説得力があった。守ろうとする試みも、一時的な延命にはなっても恒久的な存続にはつなげることができないという。
言語の分化が今後は生じにくくなるかもしれないという話も面白かった。たとえばアメリカ英語とイギリス英語は多少分化が進み始めていたのだけど、ラジオやテレビのようなメディアでお互いが相手の英語に触れるようになってから明らかに再同化が進んでいるんだとか。これは本書が書かれてから十数年経ついまとなってはその傾向が強まりこそすれ弱まっているとは考えられない。技術の進歩はこういうことにも影響を与えるのだなと思う。
それで、著者は滅びゆく言語を記録しなければいけないという。言語というのは驚くほど多様な構造や音声を持っていて、たとえば舌打ち音を音素として持つ言語があるとか、他の言語で類を見ないほど特異な文法や話法を持つ言語があるとか、そう言ったことは記録しておかなければ永遠に失われてしまうからだ、と。その主張自体はすごくまっとうだと思うのだけど、著者がその主張に絡めて随所でフィールドワークしねえ言語学者はなってねえ、聞き取りしろ、記録しろ、みたいな個人的な苦言みたいなのをちょいちょいぶっこんでくるのは鼻についた。言わんとすることはわかるんだけど、わかったわかった、みたいな気持ちになる。
とはいえなかなか面白い本だった。言語の成り立ちとかに興味ある人は読んでみていいと思う。言われなくても読んでるような本なんだと思うけど。