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『君の話』 三秋縋著 早川書房,2018-07

君の話

君の話

ヤングアダルト! ヤングアダルト SF だなきみは!
というわけでひさしぶりにこの手のものを読んだ。記憶操作がナノマシンによって当たり前に可能になった近未来、ひとは作り出された記憶を「義憶」と呼び、純粋に楽しみとして、あるいは何かの欠落を補うために、積極的に活用していた。記憶は消去することもまた可能になり、残したくない記憶を選択的に消すこともできるようになっていた。主人公の男子大学生千尋は崩壊した家庭の下で育ち、なんとか成人して家からは出たものの絶望のうちに日々を送っていた。あるとき千尋は過去を消すことを決意して、そのためのナノマシンを発注する。ナノマシンの見た目はほぼ粉薬なのだが、さすがに汎用ではあり得ずオーダーメイドが必要なので発注する、という設定になっている。ここが実にうまい。主人公は届いたナノマシンを飲むが、記憶が消える代わりにある義憶を植え付けられていた。どうやら義憶業者の手違いらしかった。その義憶の中には心を通わせた幼なじみの少女が存在し、千尋は折に触れてその少女――夏凪灯花のことを思い出すようにすらなる。しかしもちろん、灯花は義憶の中にしか存在しないし、千尋の絶望で塗りつぶされた現実には何の変化もないのだった。ところが地元の町に戻った夏のある日に、千尋は義憶と完全に一致する少女を目撃する。そんなはずがないと思いながら千尋は灯花を探し始めてしまう……。

ここまでで「A面」の半分ぐらい。このあともう少し千尋の視点からのA面が続いた後、種明かし的な「B面」が語られる。A面B面という言葉に象徴されるように、記憶改変が実現しているような未来にしてはノスタルジックな雰囲気が色濃く漂うのが特徴で、明らかに意図したものではあるが上手く描けている。それに限らず筆力は高い。このウェットな世界観とヒロインのキャラクターは好みがわかれるところだろうけど、個人的にはたとえば十代の頃とかに読んでいたら相当はまっていたんじゃないかと思う。盆暗男子には無条件でぶっささる殺傷力がある。B面の種明かしもびっくりするような内容で、面白かったし夢中で読んだのだけど、この歳になるとさすがに鼻白むというか、若干引くところもなくはない。
……なくはないが、しかしそれでも後半の展開は切ない。二方向からの痛切な後悔を味わいながら読者は物語を読み進むことになる。いくつも分岐はあったように思えるのに、どうにもとりかえしがつかなかったこととして事態は進んでしまう。そして幕が下りかけたとき、“灯花”がしかけた最後の罠を千尋は見事に躱してみせる。そこにいたってようやく千尋は現実と向き合いそれを理解したから。いずれ失われてしまうものを最後まで見届けることを引き受ける覚悟をしたから。あまりにヒロイックな展開ではあるけれど、でも個人的にはよしとしたい。それをできずに終わったのでは、あまりにも救いがなさ過ぎる。

というわけで、みずみずしい SF でした。若い人はもちろん、かつてこういうのが好きだったもう若くない人も、これを読めばきっとどこかゆすぶられるところがあることだろう。


全然関係ないけど著者の下の名前を読み終わるぐらいまでずっと「槌」だと思いこんでいた。変わった名前だなあと思ってたけど、まあ「すがる」もまあまあ変わった名前ではあるよね。それで間違いが正当化されるものでもないけど。