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『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 伊藤亜紗著 光文社:光文社新書,2015-04

著者がウェブで続けていたインタビューをもとに再構成した本。タイトルの通りで、目の見えない人がどのように世界をとらえているかについて書かれている。
インタビュー自体はけっこう読んだことがあったので、そこからの発展を期待して手にとったのだけれど、どちらかというと一冊の本にまとめただけという感じで、あまり発展した考察はなかったように思われた。むしろインタビュー自体はいろいろ示唆に富んでいて面白かったのでまずはそちらを読むのがよい*1のではないかという気もする。分量はそこそこ多いが読み切れないというほどでもないので。
示唆として面白かったのは、視覚障害者の人と一緒に歩いて、はじめていつも歩いている町の地形を意識したというくだり。これはたぶんあらゆるジャンルのあらゆるレイヤに存在する話ではあるのだけど、それでもあらためて体験するとはっとするものではあるのだろう。逆に、本来であればよく見えているものにこそ獲得できる視座というのももちろんあるはずでもある(ここの例で言えば地形についての認識)。
事例として面白かったのは、視覚障害者と健常者で一緒に芸術作品を鑑賞する、という試み。健常者は見えたもののことを全部声に出して報告し、視覚障害者はその情報だけを頼りに作品を味わう。どんどん質問をしてもよい。それに対して健常者も自分の得た情報をなるべく多く口に出す。この一連のやりとりを通して、共同で作品を鑑賞する。これたぶん、健常者同士でやってもけっこう意義あると思うんだよね。実際には恥ずかしさとかかっこつけが先に立っちゃって上手くいかないと思うんだけど、そういう風に作品に対して感じたことを口に出して共有するというのは作品を味わう上ですごく意味があることだと思うのだ(この文章だってそういう意図もあって書いてるわけだし)。
あと、中途失明の人が、中味の入ってるコップを持って、手触りがガラスっぽかったからガラスのコップだろうと思って、持った重さからだいたいこれぐらい入ってるな、とあたりをつけてグラスと内容物の水面を頭の中に思い描くんだけど、「それは陶器なんですよ」と言われた瞬間に頭の中のグラスは陶器のコップに化けてしまい、見えていた内容物も見えなくなってしまうのだという話はすごく面白かった。人の世界認識のあやふやさと豊かさがよくあらわれたエピソードと思う。

*1:このへん。→http://asaito.com/research/  本文では「読み切れないというほどでもない」と書いたけれど、いま見たら相当たくさんあって全部読むとなればけっこう骨が折れる。だから本書のかたちでまとまっていることには意義があると思う。