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『絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』 M・R・オコナー著/大下英津子訳 ダイヤモンド社,2018-09

絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ

絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ

絶滅危惧種、というと、守らなければならない気がする。なぜだろうか。取りかえしがつかないからだろうか? それはそうだろう。でも、地球開闢から今まで、いくつの種が絶滅してきただろう。それらは全て取りかえしがつかないが、どの種も守られるべきだったのだろうか。守るには実際どうすればいいのだろうか。何匹生き残っていれば守れたと言えるんだろう? かように、種の保存ということについてはちょっと考えただけでいくつもの論点があらわれる。本書では具体的な生物種の例を引きながら、それぞれの種にまつわる、しかし多くは普遍的な問題について語っていく。
キハンシヒキガエルタンザニアの人里離れた滝の下あたりに住んでいたカエルだ。落差の大きな滝からたちのぼるしぶきが周囲に常に深い霧をもたらす、世界でもまれな環境でのみ生息することができる生物だった。しかし開発の波が押し寄せる。大きな落差を利用したダムを作り水力発電を行おうというのだ。ろくな調査は行われずに森は切り開かれ、キハンシヒキガエルはあっという間に住処を失った。いまはかろうじて実験室の中に数十匹が生き残っているだけだという。人間のエゴが事実上カエル一種類をまるまる絶滅させてしまった。
……と、言ってしまえば簡単だが。当たり前だが人間の側にも事情がある。タンザニアにはどうしてもそのダムが必要だったのだ。慢性的に電力が不足しているエネルギー状況で、そのダムからもたらされる電力はのどから手が出るほど欲しかった。道路を引いて大規模な工事を行って送電線を引くほどに。古いテーマではあるが依然として死んではいない問いだ――健康で文化的な暮らしと、ちいさな黄色いヒキガエルと、どちらが大事なんだ? それを先進国様にどうこう言われなくっちゃいけないのか?

このほかにもさまざまな生物の例が登場し、それぞれに課題をつきつける。フロリダパンサーの例はどこまで種を守るべきかという問いをもたらす。近縁種と交雑させてでも遺伝子を残すべきなのか。パプフィッシュという魚では人為的な(意図的ではない)介入が劇的な種の分化を起こしてしまった。タイセイヨウセミクジラは逆に、繁殖スパンが長すぎて短命の人間たちにはなにが起きているか理解できていない。このほかにも凍結保存や、はたまた DNA から絶滅生物を復活させようなんて話も出てきたりして(ジュラシックパークである――もちろんまだ実現にはほど遠いのだけど)、絶滅危惧種というカテゴリにはほんとうにさまざまな、現在進行形で動いている課題があるのだなと思い知らされた。なかなか面白かったです。