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『チューリップ・ブック ―― イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史』 国重正昭,ウィルフリッド・ブラント,ヤマンラール水野美奈子,小林頼子著/南日育子,中島恵訳 八坂書房,2002-02

チューリップ・ブック―イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史

チューリップ・ブック―イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史

妻に勧められて読んだ本。これの前に『野生のチューリップ(月刊たくさんのふしぎ 2017 年 11 月号)』も読んで、少しだけチューリップに詳しくなれた。
チューリップの原産地をご存知だろうか。おれは正直なところ考えたこともなかった。現在ならオランダとかトルコとかのイメージはあるがそれは原産地とはあんまり関係がない。実際はカザフスタンを中心とするユーラシア大陸のあのあたりが原産らしい。当地には今でも野生のチューリップがいろいろあって、人里離れた山奥で咲き誇っているのだそうだ。その姿は背が低く葉は細く波打っていて、つまり先日おれが科学未来館の庭で見たやつがまさにそれなのだが、種子で増えて花が咲くまでにおよそ七年かかるという。それがトルコに渡ってそこで大いに愛され、一大ブームが起こりさまざまな品種改良が行われた。ところがその後トルコの人たちはチューリップに関心をなくしてしまったのか、それらの品種はすべて失われてしまった。かろうじて絵画やタイルなどに描かれた花が往時の姿をしのばせるのみだという。にもかかわらず今でもトルコの人はけっこうチューリップが好きで、チューリップを意味する「ラーレ」は女性の名前としてそこそこポピュラーらしい。そこら辺はけっこう謎だ。
さてチューリップといえばチューリップバブルである。おれでも聞いたことがあるというぐらいのものだ。それは 17 世紀に起きた(とされている)。はっきりしたきっかけはわからないが、美しいチューリップの中でもとりわけ珍しい品種の価格が異常に高くなって、それに引っ張られるようにそれ以外のチューリップの球根の価格が高騰した。取引が活発化するにつれて現物の球根がやりとりされることはまれになっていき、球根は土の中にあるまま権利書だけが価格を上げながら次々に持ち主を変えていった。売買は主に酒場でなされ、球根ブローカーは多額の手数料を懐に入れて、一晩中飲み歩いても帰るころには家を出たときよりも財布が厚くなっていたなんて話もあるらしい。
もっとも、これはかなり数少ない史料を元に語られている出来事で、ほんとうに起きたことかどうかははっきりしていない、起きたとしてもどの程度社会にインパクトを与えたのかも判然としない、というような見方もあるようだ。近年の研究ではどちらかというと否定されているとか。
当時特に珍重されたチューリップは「broken」と呼ばれる、花弁が二色に分かたれた花を持つものだったのだが、それは突然変異的に発生するという特徴があった。そしてとても美しい花を咲かせながら、球根は急激に活力を失ってしまう。それもそのはず、後年になって判明したことだが花弁の変色はウイルス(チューリップモザイクウイルス、Tulip Breaking Virus)によってもたらされるものだったのだ。人間に例えるなら疫病にかかって肌の色が紫とかになっちゃってるのを美しいともてはやしていたみたいな話なのでなかなかにおぞましいが、しかし絵画などでその姿を見ると確かに美しいのだよな。現在でも斑入りのチューリップは作られているが、この頃のようにウイルスに感染したものを流通させることはないらしい。

あちこちに植えられていてなにげなく見ているチューリップだが、野生環境の厳しさやトルコやヨーロッパでたどった運命などかなり面白く、花ひとつにもいろいろな運命があるのだなと思わされる。あっさり読めて図版も綺麗で、なかなかよい本でした。