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『予測マシンの世紀』 アジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、アヴィ・ゴールドファーブ著/小坂恵理訳 早川書房,2019-02

予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済

予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済

猫も杓子も AI の昨今。しかし AI って結局のところなにができるんだろう、というまあベタな疑問にある程度答えようとした本。いわく、AI の本質は予測にある。ある程度既存のデータをいっぱい喰わせて学習させると、新しいデータを見たときにも判断を下せるようになる、というのが現在の機械学習で、それを活かして未知の状況に機械が対処しようというのが AI である。たとえば、amazon とかでいろいろ買ったり眺めたりしてるとそのうちサイトの方がいろいろ勧めたりしてくるが、あれは購入/閲覧履歴をもとに我々の購買行動を“予測している”わけだ。現時点ではその予測はレコメンドにしか使われていない。時にはこういうの欲しかったんだ、ということもあるが、大抵はとんちんかんな物ばかり勧めてくる。ところが、この予測の精度が極めて高くなったら、ビジネスモデル自体ががらっと変わってしまう可能性があると著者たちは言う。amazon であれば、注文される前にその予測に基づいた商品を送りつける、という方法が可能になる。買ってもらえるのならそのまま品物を受け取ってもらえばいい。いらないのであれば、受け取らずに返してもらえばいい。そうすることで品物をルート配送で送り届けられる。今はまだ返品が多すぎて効率が悪すぎるが、返品が減ればこのやり方のほうが効率がいい。実際これはまるっきりの夢物語ではなく、「予測発送」のメソッドは amazon がすでに特許をとっているのだという。今のとんちんかんなおすすめを見ている限りでは実用化はまだ遠そうだけど。

予測自体にも危うさはまだまだある。サブプライムローンの破綻を金融業界が予測できなかったのは、適切なモデルが作られていなかったからだ。それは回帰法がエンジニアの独断に頼っていたからで、別々の地域の不動産価格は連動しないとしていた設定がそもそも誤りだった……みたいな話が出ているのだけど、あれ、でもそれって過去の事例ではそれで問題なかったからそういう設定になってたんじゃないの? と率直に思ってしまう。そうだとしたらエンジニアの所為とかじゃなくて予測自体の限界なんじゃないんだろうか。
あることのコストが下がるとそれに直接関わる周辺のものごとの価値が上がる、というのは面白い視点で、だから AI によって人間の仕事が奪われたとしてもそれに関連する仕事は逆に価値が上がるはずだからあんまり心配するな、という。わからないでもないのだけど多分楽観的すぎて、これまでの相場ってのはなかなか変わらないんじゃないかな。価値が上がるはず、という状況と実際に対価が上がることの間には若干のギャップがあって、そこがイコールだととらえるのはいささかピュアすぎる。

こんな予測ができたらこんなことができるぜ、という思考実験としては面白いけれど、あまりにも理想的な予測が前提になりすぎていて、ちょっと浮き足立っている感じはあった。おそらくどれほど精度が高い予測ができるかについては分野によってめちゃくちゃむらがあるはず。そういうことを地道に見極めていくことこそが、今の時点で AI についてとるべき態度なのではないだろうか。

  • メモ。
    • 人間の得意な予測と苦手な予測があるという話。これは疑いの余地がない。ひとことで言えば人間は目立つ情報を重視しすぎるという。『マネーボール』(セイバーメトリクス)はそこを見事に逆手にとった事例だった。とはいえもう十五年以上前。
    • これは本筋とあまり関係ないのだけど、かつて行われたニューヨークの消防士試験には読解力のテストがあり、ざっくり言えば黒人とヒスパニックの成績が悪かった。後年、このテストは消防士の適性とは関係ないので差別であると認定された――という事例が紹介されていた。なるほど、たとえばこの結果の傾向をあらかじめ知っていれば、正当なテストのふりをして黒人とヒスパニックを排除することができてしまう。理屈はわかるのだが、これを突き詰めると適性に関係ないことは一切問うてはいけないことになってしまいそうでちょっともにょる。