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『東京の子』 藤井太洋著 KADOKAWA,2019-02

東京の子

東京の子

オリンピックが終わった少し後の東京。新たに制定された移民法のおかげで、東京には外国人労働者があふれていた。主人公仮部諫牟(かりべ・いさむ)も、そんな外国人労働者が客の大半を占めるベトナム料理店「724」の二階に間借りして住んでいる。持ち物は段ボール二箱に収まるほどで、ほとんど何もない部屋で何も持たずに暮らしている。仮部という名前すら実は本名ではない、買った戸籍だ。育児を放棄した両親から逃れるために、あるいは身分詐称が発覚したときのために、身体ひとつだけで生きていくと仮部は決めている。
「724」の店長ダン・ホイから、仮部は行方が知れなくなった従業員の捜索を依頼される。その従業員はオリンピック施設跡地に新たに立てられた東京人材開発大学校、通称東京デュアルに在籍する留学生だった。仮部は東京デュアルに潜入し、ひょんなことから学長の三橋と知り合うことになる。かつて仮部はパルクール・ユーチューバー“ナッツ・ゼロ”として活躍していたが、三橋は自身の講義でナッツ・ゼロの動画を教材に用いていた。講義に潜り込んでいた仮部を三橋はナッツ・ゼロ本人であると見抜き、学長室に仮部を呼び出す。
自分の身体と頭脳だけを恃みに生きる仮部の生き方がすがすがしく、かっこいい。生まれつきの環境に恵まれなかった仮部には逆に言えばそれしかない。作中で具体的な身体の使い方に言及があるのは意図的なものだろう(背中を少し反らせて立つことで心理的な優位を作り出す、とか)。パルクールはその生き方のひとつの結晶として描かれている。都市というコンクリートと金属でできた巨大な装置に対して、自らの肉体を限界まで使って挑む表現。著者の過去の作品に比べるとずいぶんマッチョな主人公だなという印象はあって、如実にあらわれているのは仮部の友人であるセブンとの対比だろう。これまでであれば主人公のポジションだったであろうセブンは、コンピュータやネットワーク全般に強いがデザインセンスが皆無のちょっと残念キャラとして描かれている。
東京デュアルや三橋の考え方はとてもラディカルで、反発したくなるようなところも、これは意外といいかもしれないと思うところもある。おそらく著者は大学というものがこれまでのようには機能しなくなると考えていて、それにとって代われるものとして東京デュアルというモデルを提示している。登場する学生たちがおおむねいまの大学生と同様であろう振る舞いを見せているのもそういうことだろう。若い人の将来を人質に取るようなやり方には直感的には賛成できないのだが、もうこうでもしないとやっていけないだろうなという感覚は正直個人的にもある。だとすれば頭から否定すべきものではないのだろう。
これまでの藤井節とはずいぶん調子が違うけれど、でも根っこに通っている前向きな姿勢は健在で、仮部の最後の選択もよかったと思う。うちの子供たちは東京の子として生きていけるだろうか、とつい思いを馳せたりしちゃうあたり、おれも歳をとった。