黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

『チョンキンマンションのボスは知っている-アングラ経済の人類学-』 小川さやか著 春秋社,2019-07

ちょっと不思議なタイトルだが、ざっくり言えば香港におけるタンザニア人コミュニティのフィールドワーク記録。チョンキンマンションというのは香港にある四棟からなるでっかいマンションで、外国人旅行者の短期滞在用の部屋として一時的に貸し出されていたり、看板も出さないような小さなレストランが入っている部屋があったり、もっと法に触れるような商売がされていたり、なんて感じのところらしいのだが、そこに住む自称「チョンキンマンションのボス」ことカラマを軸に香港のタンザニア人コミュニティを描いている。
タンザニアと香港のつながりはそれほど強いものでも古いものでもないようだが、以前から細々と商売人がやってきてはいたようだ。彼らはタンザニアで産する天然石を売りさばきに香港に来ていた。天然石の品質は安定せず、したがって価格もその時によって激しく上下する。タイミングがよければ大儲けできるが、逆もあり得る。ビザをとることは難しく、ビザがなければ長期滞在もできない。それでもひと山当てようという者はあとを絶たない。彼らは先人たちのひとつの言葉を胸に刻んでやってくる――困ったらチョンキンマンションのボスのカラマを頼れ。
さて、じゃあそのボスのカラマってやつはどんな人物なんだろう? というのがこの本の面白いところ。といっても冒頭から存分に描かれるのだが、カラマ、まあまあだめな奴である。朝に弱い。約束に遅れる、すっぽかす。自分が見つけた面白動画を無理矢理人に見せる。脱いだ服は洗濯しないでジップバッグに突っこむ。あんまりビジネスの相手にはしたくないタイプ、かもしれない。とはいえ顔は広い。商売のやり方を知っている。どこへ行けば売れそうな車が手に入って、それをどこで売ればもうかるか知っているし、それぞれのツテも持っている。タンザニア人コミュニティの結成で中心的な役割を果たしたり、面倒見がいい。
もっと「ちゃんと」働けば、そのつてや能力を活かしてもっと稼げるのでは?――と著者は聞くが、カラマは一笑に付す。そんなことはしない。
やろうと思えば、約束を守って、もっと大きな金額の仕事を請け負って、つてやコネを活かして期日内に仕事を完遂することも自分ならできるだろう、とカラマは自認している。でもそれではだめなんだ、とカラマは言うのだ。それは結局相手のフィールドで相手に使われる駒になってしまっている。自分の商売は自分でコントロールできなくちゃいけない、とカラマは固く信じている。そのためには、約束に遅れたり、望まれたものを全部手に入れられなかったりという不安定さが必要なのだと。つまりカラマがちょっといい加減でだめな奴なのも意味があるのだというのだ。
それから、タンザニア人全般に見られる気質についてさまざまな事例が紹介される。たとえばちょっとしたものをタンザニアに、あるいは中国本国に/から運びたいとき、たまたまそちらに行く人のスーツケースの空いてるスペースに入れて運んでもらう、という慣習があるのだそうで、これはみんなおたがいに運んだり運んでもらったりしているらしい。お金がない奴にごはんを食べさせてあげるとか、仕事を紹介するとか、そういうレベルの親切もある。そういう貸し借りを彼らはいちいち全部記録したりはしない。今はおれが金を持っているから助ける。次の時は助けてもらう――かもしれないし、また金があったら助けるかもしれない。そんなゆるい関係で助け合う一方で、根本的なところで彼らは「自分たちはひとりでやっていく」のだと思っているらしい。
著者はこのあとタンザニア人たちのウェブ上のコミュニティと、その上でゆるやかに成立しているぼんやりとした評価システムについて触れているのだが、そこについてはあまりぴんと来なかった。それよりも、助け合う心とひとりでやっていく心のバランスの取り方こそをある種うらやましいと思うし、しかし自分がそういう社会の中でうまくやれるとも思えない。
ともあれ興味深く面白いレポートでした。いろんな国に、いろんな人が暮らしているのだな。