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『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』 ジェリー・Z・ミュラー著/松本裕訳 みすず書房,2019-04-27

パフォーマンスを定量的に評価したい、という要請はあちこちにある。成果がお金にならない分野であればあらゆるところにあると言ってもいい。組織の上位者は、リソースを注ぎこんだところがどれほどの働きを上げているかを知りたいからだ。
しかし本書では具体的な事例を挙げながらほとんど徹底的にパフォーマンス評価を否定している。まず、そもそも数値化するのが難しいということ。データを集めること自体にリソースを使わなければならないこと。往々にして、職業的誇りとデータ取りや指標の向上が対立すること。評価の指標となった項目だけを向上させようとしてしまうこと。あげられた成績ではなく、注ぎこんだ労力を指標にしてしまうこと。データ改竄のインセンティヴが高くなり、それを防ごうとするとますますリソースを使うこと。……などなど、上手くいかない理由は枚挙にいとまがない。実際、これを読んでいて思い当たるふしがあるひともいらっしゃるのではないだろうか。
具体的な例は滑稽で、ほとんど悲惨ですらある。患者の待ち時間を短くしようと考え、そのために待ち時間を評価対象とした病院でなにが起きたか? 救急車で搬送されてきた患者を病棟外に留め置き、実際に受け入れるまでの時間を待ち時間にカウントしなかったというのだ。有罪率を指標にすれば難事件は検挙されなくなり、検挙数を指標にすれば微罪ばっかり検挙される、なんて話はなんとなくどっかで聞いたことがある。
むしろパフォーマンス評価が役に立つのはごく限られた場合だけだという。米国で、複数の病院で気管挿管の際のオペレーションを改善することで大幅に感染を減らすことができたというプロジェクトがあったそうだ。しかしそれは現場の人たちが主体的に取り組んで、自分たちの業務を改善しようと自ら導入した評価だったから、アウトカムの向上につなげることができたのだ、と著者は書く。そしてそういう例はごくまれである、と。あとは、わりと重要度が低い/代替が効く業務については比較的パフォーマンス評価は成果を出しやすいそうだ。
個人的にパフォーマンス評価とわりとがっつり縁がある会社で働いているので、なかなかつらー、な本だったが、それはそれとしてすごく面白かった。広く読まれてほしい本と思う。