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『アメリカン・プリズン-潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス-』 シェーン・バウアー著/満園真木訳 東京創元社,2020-04-30

どんな国にもいいところと悪いところはあるもので、いいところばかり見てうらやんでも悪いところばかり見てさげすんでもあまり意味がないわけだが、それはそれとしてこういうところは見習いたいねとかこれは他山の石としたいとかは明確にある。この本は後者だ。こうなってはいけない。少なくともこの方向へ突き進むことは避けなくてはいけない。
米国のいくつかの州では、刑務所の業務が民間に委託されている。これは単純にコストダウンを図る目的で行われていて、ほぼ専業の受託会社が複数の州の複数の刑務所にまたがって業務を受託している。そしてそこで働く刑務官は州によってはその州の最低賃金で雇われている。著者はかつてイラクでちょっとした行き違い――本人によれば国境に近づきすぎた――から 26ヶ月にわたって収監された経歴を持つこともあって、自分の国の刑務所で何が起きているのかにも興味を持った、ということらしい。正面から取材に行っても周到に準備された表の顔しか見せてもらえないことはわかっている。というわけで潜入取材しよう、ということになる。
著者は偽名すら使わずに正面からウェブページ経由で刑務官の求人に応募する。拍子抜けするほどあっさり複数の刑務所から面接のオファーが来て、そのうちのひとつを選んで面接に挑むとこれまたあっさり採用される。ペン型のカメラと IC レコーダーをポケットに潜ませて、著者は時給 9 ドルで刑務官として働き始める。その環境は劣悪そのものだ。大部屋に 44 人囚人がいて、それがふたつつながっている棟を、刑務官ふたりで監視しなければならない。どだい無理である。無理であるゆえに、筆者(に限らず刑務官全員)は常に葛藤を抱くことになる。規律を完全に守らせることは絶対にできない。ろくな武器も持たされていないのだ。だからといって好き放題にさせるわけにもいかない。囚人同士の暴力沙汰はさほど珍しいとは言えないなか、その暴力が自らに及ぶかもしれないという脅威にずっとさらされ続けられつつ、圧倒的に人数で勝る囚人をコントロールし続けなければならない。これは相当なプレッシャーとストレスであろうと思う。実際著者はどう振る舞うのが正しいか迷い続け、行動にもそれがあらわれる。ここら辺はほんとうに迫真の書きっぷりで、潜入ルポの醍醐味というか、実にスリリングな展開だった。そして段々妻との仲が険悪になっていったことを著者は告白している。さもあろうと思う。
本書では潜入レポートと平行して、章を交互に並べる形で米国の刑務所労働の歴史が語られる。そもそもは南北戦争の後、奴隷制が廃止されるのと同時期に、奴隷労働を置き換えるような形で一般化していった。なにせ奴隷と同じぐらい働くし、奴隷だと曲がりなりにも死ぬまで面倒みなきゃいけないけど囚人だったら年喰って働きが落ちたら釈放しちゃえばいいからね、みたいなことがほんとうに言われていたらしい。どひーー。まあ本朝にもタコ部屋とかあったわけなので全然他国のことは言えないしそれは本エントリの趣旨ではないけど、それはそれとして「囚人なら釈放しちゃえる」はかなりのパワーワードだとは思う。
ともあれ、囚人労働は時代に応じて形を変えながらかなり長いこと続いたらしく、それは経済的側面から肯定された。時代が下るにつれて強制労働こそなくなったけれど、囚人の管理を民間に任せてしまおうという部分だけは外注という形で引き継がれていくことになった(それもおなじく経済的側面から肯定された)。しかし囚人を労働力として収益を上げることが認められていないのに、民間に委託すれば経費が節減できるなんてことが論理的にありうるだろうか?
本書ではその答えが潜入レポートにある、という構造になっている。少なくとも書かれている限りでは、囚人も刑務官も等しく劣悪な環境に置かれ、毎日強いストレスを受け続けながら暮らしている。一方的なレポートだから真実かどうかはわからない。受託会社は本書が出版される前に受けた照会に対して多くの否定的回答を返したようだ。あるいはそれが正しいのかもしれない。だけど、そんなことはあまりありそうにない、というのが正直な感想だ。著者が刑務官を辞任して、少々の後日談が語られたところでレポートは終わっている。他人事ながら無事に辞められたことにはほっとしてしまった。
どんな国にもいいところと悪いところはあるもので、いいところばかり見てうらやんでも悪いところばかり見てさげすんでもあまり意味がない。だけどおれは本書を読んでひとつの思いを堅くした――米国で収監だけはされるまい。それだけは絶対に避けたいと、心の底から思っている。(いや、まあ一部の州だけだってわかってるんだけどさ)