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『都市で進化する生物たち “ダーウィン”が街にやってくる』 メノ・スヒルトハウゼン著/岸由二,小宮繁訳 草思社,2020-08-18

冒頭のロンドンの地下鉄の奥深くにすむチカイエカの話が凄い。もちろんロンドンの地下鉄の歴史は世界一長いわけだが、とはいえ 160 年というところだ。そこに住み着いた蚊は、もはや直近の先祖たちとは似ても似つかぬ生活をするようになっているのだという。そして、三つの別々の路線で捕獲した蚊たちの遺伝子を比較すると、それぞれ簡単に区別できる程度にははっきり違うのだそうだ。たかが百数十年で生物はこれだけの変化を遂げることができる。
今や都市に住む人間の方が都市以外に住む人間より多い、らしい。それだけ人間は地球の環境を変化させてきた。なれば生物もそれに適応して変化するのも当然のことで、都市にはあらたな生態系が創り出されるし、変化した生物たちはやがて都市固有の生物種になっていく可能性がある。それは不可避のことで自然の一部であるのに、どういうわけか“手つかずの自然”原理主義みたいな主張はしばしば見られる、と作者は書いている。確かにそういう傾向は一般に見られて、自分もけっこうそれに与してしまうことも多いのだけど、でも現実として環境は改変されまくっているしそこに生態系のニッチが生じるのだ、ということは認めるべきだし、それと自然保護や環境保全の文脈は切り離して考えなければならないのだろう。

さておき、本書では実際に都市で進化を遂げている生物の例がいろいろ紹介されて、なんといってもそれが楽しい。たとえばフタマタタンポポという植物。都市の狭く細切れに点在する緑地に咲くこの花はタンポポの例に漏れず綿毛のついた種子をつくる、のだけど、もう一種類綿毛を持たずにその場に落ちる種子も作る。前者は風に乗って運ばれて遠くの土地に根づき、後者はまっすぐ地面に落ちて土に刺さって芽を伸ばす。都市の環境では飛んでいった種はほとんど根づかず(あるいは都市以外に行ってしまう)、その場に落ちる種子だけが子孫を残す。するとどうなるかというと、田舎に生える同種のタンポポよりだんだん後者の種が多くなるのだ。幹線道路沿いでえさを採る小鳥は森に住む仲間と比べて翼がどうなるか?――短くなる。騒がしい都会に住むクロウタドリは森に住む仲間と比べて声がどうなる?――高くなる。地味な観察と考察に基づいて、都市での進化が実際に起きていることが確かめられている。
日本人として面白かったのは、ハシボソガラスが道路に胡桃を置いて殻を割らせるという話。たぶんそれ自体は聞いたことがある人が多いんじゃないかと思うけど、おれはこれまで「ああ、カラスって賢いっていうもんね」ぐらいの認識しかしていなかった。でもちょっと違うのだ。それをするのは日本のハシボソガラスだけなんだそうで、ヨーロッパのハシボソガラスではその行動が観察された例はないらしい。カラスは先輩や仲間からそのやり方を習うのだという。本書では、カラスの例ではないが、小鳥の集団でやはり仲間の行動を学習する事例が実験で確認されているという話が書かれている。これは進化とは少し違う話だが興味深い。

圧巻はシモフリガの事例で、この昆虫はもともと白っぽい色だったのが 19 世紀のイギリスの工業化に伴って一気に黒くなったことが工業暗化としてよく知られている。工場からの煤煙によって、よく止まるシラカバなどの木肌が汚れるようになったからだ。もともとの色のガは煤で汚れた木の上ではかえって目立つようになって、急速に黒い羽を持つ個体が多数派を占めるようになっていた。わずか 25 年ほどでシモフリガの大部分が黒い羽を持つに至ったという。この事例は実験でも実証されているのだが、近年になってその実験にちょっとした疑義がとなえられ、それをジャーナリストが若干煽ったために工業暗化そのものに疑問が呈された時期もあったらしい。ただ、今世紀に入ってからの追試でやはり工業暗化は確かめられ、まさに当初発見されたときと反対の進化が起きていることも合わせて確かめられたという。すなわち、もはや工場は真っ黒い煤煙を排出しておらず、シラカバの肌の色も白に戻っている。それに伴い、シモフリガもまた急速に白い個体が大多数に戻っているのだそうだ。

ダーウィンは進化にはもっとずっと時間がかかると思っていたらしい。彼は自分の手元に来た手紙をたとえアマチュアからの他愛ないアイデアであっても全部とっておいて、少しでもものになりそうな記述は切り抜いてノートに貼ったりしていたらしいのだが、手紙の中に一通、シモフリガとほぼ同様の工業暗化を遂げたアヌレットというガの事例を紹介したものがあることがわかっている。白亜の岩肌が近年工場からの煤煙で急速に黒ずみつつあり、白いアヌレットの割合はかつてよりずっと減ったと言われている、これはまさに適者生存の事例ではないか?という内容のものだ。これはおそらく正鵠を射ているのだが、ダーウィンはこの手紙に対してなんらかのリアクションをした形跡が一切ない。著者はもちろん本当の理由はわからないとしながらも、ダーウィンはこの程度の時間で自然淘汰や適者生存が起きるはずがないと考えていたのではないかという。進化論を確立した人物が進化の力を過小評価していたのだとすれば、なかなかに皮肉であり、おもしろい話だなと思う。