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『甘いバナナの苦い真実』 石井正子・他著 コモンズ,2020-08-31

甘いバナナの苦い現実

甘いバナナの苦い現実

フィリピンにおけるバナナ生産の現在の状況を、主に日本向けバナナの生産という観点から捉えた本。章によって書き手は異なる(Amazonでは単著みたいな感じの情報が載っているが明らかに誤り)が、トーンはおおむね統一されている。すなわち、現況への批判と改善の要求だ。
かつてバナナは高級な果物だった。母が小学生の頃肺炎をこじらせて一時は死にかけ、祖母がバナナを買ってきて食べさせてくれて、なんと美味しいものだろうと思った、という話を聞いたことがある。自分のひと世代上ではバナナは死にかけでもしなければ食べられなかったものだったのだ。しかし当時ですらその話を「隔世の感がある」と思いながら聞いていた憶えがあって、おれの子供の頃にはもう日常普通に食べていたし、なんなら給食でも出てた。その 40 年ぐらいのあいだに、バナナは劇的に安くなったのだ。しかしそれが可能になっているのにはフィリピンで行われているいくつかの搾取的生産形態が影響しているらしい。
戦後まもなくフィリピンは独立し、外貨を稼ぐ手段として農産物の輸出が進められた。その中で小規模土地所有者が集約されていき、大規模農業に発展していくのだが、そこでの契約は基本的には事業者が農民から土地を借り上げて集約していく形態だった。だがそこでの地代は安く、それでいて土地所有者には裁量の余地が残らなかった。多くの場合土地所有者はそのまま労働者にもなった。自分の土地で作物を育てるのに、得られるものは安い地代と安い賃金だけで、価格をコントロールする権利すら彼らは持たなかった。事業者の多くは消費国の資本とつながりがあった。ざっくり言えば、日本やアメリカの商社なんかが乗りこんでいって、現地の農民から半ば騙し討ちのように土地を借り上げ、そこで安く生産したバナナを思い通りの値段で買い上げていく、という構造になっているようだ(これはいささか単純化しすぎではあるが)。
実はこの辺りの実情は偉大な先行作である鶴見良行『バナナと日本人』(岩波新書,1982)によく書かれているそうで、当時はその状況がけっこう日本でも問題視されたりしたらしいのだが、約 40 年の時を経て結局まっとうと呼べる水準までは改善されていない、というのがおそらくは現実的なところのようだ。

バナナを作らせるのも買うのもよい、が、せめて妥当な対価を払うべきではないか、労働環境を少しでも劣悪でないものにしていくべきではないか、というのが率直に思うところだが、一方でスーパーでバナナ見るときは安い方のバナナ買っちゃうんだよなあ。そういうのをどうにかするのは政治の仕事ではあるのだけど、他方でやっぱりある種の空気みたいなのは世の人が醸成していかなきゃならないものなのかなとも思う。