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『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』 デヴィッド・グレーバー著/酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹訳 岩波書店,2020-07-30

この本はタイトルの勝利。というと身も蓋もないけれど、タイトルというか、この概念を生み出したというところに価値がある。もともとは 2013 年に著者がウェブで発表した短い論考がねた元になっているらしい。著者が前々から漠然と抱いていた「この世には別にあってもなくても変わらない仕事がけっこうたくさんあるんじゃないか?」という素朴な疑問をぶつけたその論考は世界中で大きな反響を呼び、各地からそのような仕事の生々しい実例が寄せられたという。著者はそれを「ブルシット・ジョブ」と名付け、送られてきたブルシット・ジョブをいくつかの類型に分類し、なぜそのような仕事が発生するのかを考察していく。典型的な「お飾り」的ポストから、ほんとうに単純になにもしていない警備員、複雑怪奇な事情の下で生み出されるブルシット・ポストまで、さまざまなブルシットがこの世には存在し、いくつかは「まあわかる」というレベルだし、とても信じ難いような仕事もある。その収集や分類だけでも面白いのだけど、そのあとの考察も様々に面白い。純粋なブルシットジョブだけがブルシットジョブではないと著者は主張する。ブルシット・ジョブを支える普通のジョブもあるはずで、それは突きつめればブルシットなんじゃないかというのだ。それは極端な考え方だけど、でもブルシットジョブがこの世から無くなればそういう仕事も消えてなくなる、という点では意味のある把握だと思う。

特に気にかかったのは、人はブルシット・ジョブを続けることには耐えられないんじゃないか、という仮説。やってもやらなくてもいい仕事で、分量も少なくて、給料はそれなりにもらえて、といううわべだけ聞いているとうらやましいようなポジションなのに、そういう仕事から自ら離れていく人は多いのだという。なるほどそういう側面はありそうで、わからないでもない。でもおれにはこれは丸ごとは信じられない。確かにそういう人はいるのだろう、それは認める。だけど別に平気な人もけっこういるんじゃないだろうか。そして平気な人はわざわざそんなこと言わないだろう。とはいえ「耐えられない人がそれなりの数いる」ということが言えれば充分なのかもしれない。
あともうひとつ印象に残った仮説は、ブルシットではない仕事であればあるほど給料が低い(例外は医者)、というもので、これは与太に近いかなと思うけど、コロナ禍で注目されたいわゆる「エッセンシャル・ワーカー」に比較的低所得の業種が多かった時に感じた気持ちと似たものを感じた。

それで、ひるがえって自分の仕事はどうか。少なくとも今やってる仕事の何割かは確実にブルシットだと思う。上でいう「ブルシット・ジョブを支える普通の仕事」も含めればもっと増えるはずだ。しかし全部が全部典型的なブルシット・ジョブというわけでもないように思う。ホワイトカラーにはこういう人は多いんじゃないかな。で、おれとしてはまあ仕事なんてそんなもんだという感じでやっている。そういう人も多いんじゃないだろうか。だとするとこの世からブルシット・ジョブを無くすのは、たぶん極めて難しいよな。というか、こんな風に混ざりあって、絡み合って遍在していて、それをほどくことは実質的に不可能だ。
それでもなお、自分の関わる仕事のうちいくつかのものは、切り分け可能なブルシット・ジョブであったりもする。それに対してどうにかできないかと考えることは、たぶん無駄ではないだろう。その視点を持てたことはよかったかな。(視点持つだけじゃだめなんだろうけど)