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『帳簿の世界史』 ジェイコブ・ソール著 村井章子訳 文藝春秋社:文春文庫,2018-04-10

帳簿の世界史 (文春文庫 S 22-1)

帳簿の世界史 (文春文庫 S 22-1)

会計帳簿が人類史においてどのような役割を果たしてきたか、ということを時系列に沿って書いた野心的な本。これはなかなか面白かった。
複式簿記は人類の最大の発明だ、と言ったのは誰だったか忘れてしまったが、複式簿記が画期的な発明であったのは疑う余地がない。単式簿記(「おこづかい帳」方式)ではおそらく一般的な家庭の家計や小さな商店ぐらいまでしか管理できないが、複式簿記が適切に行われれば基本的にはすべての経理処理が追跡可能になる。それがいかにすごい力を持つかということを、本書では事例を引きながら紹介していく。
複式簿記が発明されたのは 15 世紀のイタリアで、商人たちが力をつけていく過程で徐々に確立されていったものらしい。適切な経理を行うことができれば、正確な財務状況を把握できるようになるので、投資の余地も借金の余地も大きくすることができて、商いの規模を大きくすることができる。逆にどんぶり勘定でやっていれば、どれだけお金があっても、慎重になりすぎて死蔵してしまうか、あるいは借り入れすぎて破綻するか、いずれそのどちらかに陥る。また、大きな商店では支店や出張所が存在し、そこで不正が行われたり粗雑な処理が行われたりする可能性は常にあるが、複式簿記を基にした監査を行うことで不正や怠惰を防ぐことができる。ある程度以上の規模の財務体を長期間継続するためには複式簿記は絶対に必要なのだ。その重要性は少しずつヨーロッパの各国に広まっていった。それは国家ですら例外ではなかった。
たとえば“太陽王”ルイ十四世がブルボン朝フランスの最盛期を築いた裏には、やはり適切な財務情報の助けがあったという。財務大臣のコルベールはフランスの莫大な財産を把握し、倹約と増税でその財産をさらに増やした。そしてルイ十四世に財務情報の概要を随時報告し、王その人にも財務を理解することを要求し、実際若いころのルイ十四世は完璧にではないにしろフランスの財務諸表をある程度わかっていたらしい。お金があればなんでもできるというわけではないけどお金がなければなんにもできないですからね。この時期が最盛期であったのはこれだけが理由ではないだろうけど、少なくとも財務情報の助けは絶対に必要だった。
だが複式簿記にも弱点はある。最大の弱点は、身も蓋もないが、複雑すぎることだ。簿記の知識を身に着けるまでには相当の努力が必要になる。そして、それに従って適切な経理処理を行うこともまた難しく、かなりの労力を必要とする。要するに大変だしめんどくさいのだ。本書に出てくる成功例も、特に前半はその成功を長続きさせることができなかった事例ばかりだ。有能な担当者を失って、あるいはトップが代替わりして、あるいは歳をとって気力を失って、そんな理由で厳格な監査や適切な帳簿作成の習慣は失われていき、やがてその財務体は没落する。面白いほどにそのパターンが繰り返されるのだ。
そして商業や金融もまた複雑になりつづけ、その複雑な処理を記載するための難解なルールが次々に追加されて、帳簿は一般人の手に負えないものになっていく。それは悪意の入り込む余地が増えることでもある。企業は監査を監査法人に委託するが、そこには根本的な利益相反の構図があるし、理論上はすべての経理処理が追跡可能であっても、それがいくつもの会社の間にまたがるものであれば、本質的な評価は不可能になってしまう。そしてたとえばリーマンショックのようなことが起きる――あからさまなリスクが金融商品の複雑なスキームのなかで糊塗されて、破滅的な結果をもたらすまでふくらみつづける、というような。
人類の最大の発明は、もはや往時の力を持たないのだろうか。個人的には財務部門のはしくれとしてそんなことはないと信じているが、限界があることもまた認めなければならない事実ではあるのだろう。