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『1984年に生まれて』 郝景芳著/櫻庭ゆみ子訳 中央公論新社,2020-11-20

1984年に生まれて (単行本)

1984年に生まれて (単行本)

  • 作者:郝 景芳
  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 単行本
「折りたたみ北京」(→おれの感想)「正月列車」(→おれの感想)の作者である郝景芳の長編。1984 年に生まれた主人公の女性軽雲が、両親の人生と自分の人生を並行して振り返るという体裁で、中国の社会の変化とそこに生きる人を描く。
正直中国の歴史についてはぼんやりしか知らず、まして市井の人々の暮らしとなるとまったくわからんわけで、時々こういう中国の現代小説を読んで生活の描写があるとまじでけっこうはっとする。もちろんそれにしたってごく限られた範囲を切り取っているにすぎず、そのフレームの外にもさまざまな人々の暮らしというのは広がっていて、それが日々月々年々重ねられていたのだろうけど、それはそれとして自分はあまりにもそれについて知らない。
本書に登場する、特に両親の若い頃である 1970~1980 年代ごろの、中国独特の政治体制の下で人々が暮らすさまというのはやはりある種の空気がべったりとへばりついていて(あえてそう描いているという側面は確実にあるはず)、父親はそこから抜け出そうとして、ついには実際に抜け出してしまうのだけど、今の目から見ると抜け出したくなる気持ち自体はわかる。父親はそれに息苦しさを感じていたのだろう。とはいえ褒められたものではない行動も多くて、もっとしっかりしてよー、とも思うのだが。半ば捨てられてしまう母親は気の毒ではあるが、こちらはこちらで過度に保守的な人物という風にも描かれていて、これはこれでしんどさがある。
現代(とはいえ十年ちょっと前)の軽雲の悩みというのは両親とは表向きには全く違って、大学は卒業するけどさてどうしよう、留学するか、就職するか、結婚は、恋人は、みたいな感じで、ずいぶん内向きになっているし、日本に住む自分からも比較的想像しやすい。だけど就職する時の流れとか手続きとかは全く違っていて、これは日本が特殊なのだろうけど、そこにあらわれる社会の在り方というのは両親たちの頃と地続きになっていて、そのしんどさというのはあまり変わらないのかもしれないとも思う。
著者は実際に 1984 年生まれなのだが、本作については自伝ではなく、自身が実際に感じたり考えたりしたことをベースに組み立てた「自伝体小説」だといっているらしい。なかなか面白い試みだと思うけど、ただでさえ一人称の小説って書いているうちに自分と主人公がごっちゃになりがちなのに、こんな形式だと尚更そうなってしまいそう。
タイトルはそれともうひとつオーウェルの『1984 年』ともちろんかかっていて、作中にもそことリンクする章がいくつか差し挟まれるのだけど、なにせ向こうを読んだのが昔過ぎてなにひとつ憶えていない。ということもあって、全体としてはちょっとぴんとこないところが多かった。