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『「色のふしぎ」と不思議な社会-2020年代の「色覚」原論-』  川端裕人著 筑摩書房,2020-10-24

「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本)

「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本)

  • 作者:裕人, 川端
  • 発売日: 2020/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
色の見え方については、『ひとの目、驚異の進化: 4つの凄い視覚能力があるわけ』(おれの感想)を読んで以来少し気になっているテーマだった。で、ちょっと調べていた時に見つけたのが著者がナショナルジオグラフィック日本版のサイト内で連載している「研究室に行ってみた。」の河村正二教授の回で、ここではまさにどストライクな色覚の話をしている。というわけでもう少し詳しく知ってみたいと思い、この本を読んでみた。
タイトルをよく読んでもらうとわかるが、この本では上の本やサイトの内容とは少し違い、色覚における個人差の大きさと、それに対して社会がどう向き合うべきかについて書かれている。
かつて「色覚異常」という言葉があり、二色覚や一色覚型などの非定型色覚(※これはおれが勝手に作った言葉)の人は全員異常とされていた。戦後、それも意外なほど長い間、非定型色覚の人は大学の理系学部はほぼ門前払いであったという。それが二十世紀の終盤にはどんどん制限が取り払われ、ごく一部の職種・学部を除いては非定型色覚の人であってもほぼ制限なく受け入れられるようになった。実際、非定型色覚の人がそのことで困る職業は限られていて、多くの人は問題なく職業生活を送っている。そして 2002 年に小学校での色覚検査は廃止された。色覚にまつわる差別はなくなりつつあるかに見えた。ところが、2016 年には小学校での色覚検査が事実上復活し、「将来こんな職業に就こうと思ったら困るかも」というポスター(こんなの)が作られたりもしているらしい。このあたりのことは全然知らなかった。
検査復活を推進した日本眼科医会によれば、色覚検査の廃止以後、非定型色覚に関する認知度が下がり、それによる悲劇が起きはじめている、のだという。小学校で図工の時間に他の子と違う色をつかってしまう児童に対して先生が執拗に改めるように求めた、というにわかには信じがたい事例もあったらしく、それは確かに由々しきことだ。だが、それを解決する方法として色覚検査の復活が果たして適切なのだろうか。そして検査復活を推奨する通知を出した文部科学省は、「実際に行うかどうかは学校ごとに判断すればいい」と言い放ったという。なんという無責任で卑怯な態度か。
検査そのものにも問題がある、と著者は書く。検査は本来、明確な根拠と、検査後のフォローアップがなければ行われるべきではない。にもかかわらず現在の小学校での検査にはそれがいずれも欠けているという。いま行われている検査は、このブログを読んでいる人は経験されている人も多いであろう、色とりどりの水玉で描かれた数字を読む石原式というやつだ。石原式はスクリーニング検査としては非常に優れていることがわかっていて、世界中で使われているらしいのだが、しかしあくまでスクリーニングにすぎない。実際の検査はもう少し厳密なやりかたが必要だが、いまの小学校の検査ではそこには一切接続されずスクリーニングをしておしまいである。これもまた無責任と言わざるを得ない。
そもそも「正常」と「異常」の線引きが極めて恣意的であることも問題で、多くの研究の結果、定型色覚と非定型色覚のあいだにはギャップはなく、概ねひとつながりのスペクトラムになっていることがわかっている。これは少し意外にも思える。遺伝子の変異によってある種の細胞や神経が発現しないのだとすれば、「オンになっているべきスイッチがオフになっている」ような形態になるのではないかと思えるからだ。だが、実際には色覚に関係する遺伝子の構造や歴史的経緯の関係で、その上で変異が起きて非定型色覚が起きるとき、さまざまな色覚のパターンがありうる、のだそうだ。そして、スペクトラムなのだとすれば、線を引くこと自体が非常に困難であることは想像に難くない。そして、一本の線の片側だけを異常と言い切ることのナンセンスさは自明であろう。
本書の後半ではアメリカの空軍とイギリスの航空会社で用いられている色覚検査の事例が紹介される。いずれもコンピュータとディスプレイを用いた検査で、やり方は異なるがどちらもその職業に就くにあたっての適性を正確に評価することができることを目的にデザインされている。航空機のパイロットともなるとさすがにどんな色覚の人でもつとまるというわけにはいかない。それであればなおさら、適正な検査が適切なタイミングで行われるべきだろう。ちなみにいずれの検査も、導入に際しての調査で従前の検査による選別が厳密すぎたことがわかっているらしい。つまり、適切な検査が実装されたことでより多くの人に扉が開かれたということになる。もちろんそれはたまたまこのふたつの事例がそうだっただけかもしれないのだが……。

本書で印象的だったのは、著者が色覚検査を受ける場面だ。実は著者は小学生のころまさに色覚異常との検査結果を受けていて、それ以来ずっと自分は「色覚異常」だと思い込んで生きてきたという。そして本書を書くにあたって、数十年ぶりに色覚検査を受けるのだが、なんと「色覚以上ではない」という判定結果になってしまう。それによって受けた衝撃や葛藤は読んでいるほうにも強く伝わってきて、当事者ではないのに少し動揺させられてしまう。そのことこそがおそらく現状の色覚検査の問題点なのだ。今の状況をどうすればいいのか、途方に暮れてしまうけれど、それでもこのままでいいはずはない。できることをしたい。