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『科学捜査ケースファイル――難事件はいかにして解決されたか』 ヴァル・マクダーミド著/久保美代子訳 化学同人,2017-07-24

おおむねタイトルの通りの本だが、もう少しフォーカスは狭くて、英国犯罪科学捜査史というべき本。著者はミステリ作家で、取材の過程でこの分野全般に興味を抱いたらしい。全 12 章、各分野の最新の知見とともに現在に至るまでの歴史が実在の犯罪事例を基に概観される。各章において主にその分野が確立されるきっかけになった事件や、重要な、あるいは印象に残る事件を数件とりあげて語っていく。作家だけあってさすがに筆は達者で、題材自体の珍しさもあって読ませる内容になっている。まあおれ自身の事件に対する下世話な興味もあることは否めないが。
たとえば第2章は「火災現場の捜査」。いま火災現場を消火後に調べたとして、どのようなことがわかるのだろうか。焼死体はなにを語ってくれるのか。かつて起きた多くの死者を出してしまった火災事故や、おそるべき連続放火犯を警察が徐々に追い詰めた事件など、まるでミステリのような事例が語られる。

第3章「昆虫学」。死体があると、そこには必ず虫が群がってきて、死体を速やかに解体していく。そのときに、どの虫がどういう順番で来るかはほとんど決まっているのだそうだ。真っ先に来るのはクロバエで、100m 先からでも匂いを嗅ぎつけて卵を産みつける。孵化した幼虫は口の突起で柔らかい死肉を喰い進み分解していく。そのあとチーズバエやカンオケバエといった別のハエたちがくる。それから徐々に死体が水分を失い、収縮して硬くなっていくともう少し大きくてあごの強い虫が来る。最後にガとダニが来て髪の毛を片付け、骨だけが残る。こういった標準的なタイムテーブルができているので、それを気温などの環境に応じて補正すると、ある程度の死亡推定日を導くことができるのだそうだ。これなんかはいかにもフィクションで使えそうなネタという感じ。

こういうニッチな分野の捜査官のバックボーンはほぼ例外なく科学の側にあるのだそうで、つまり科学者がなにかのきっかけで捜査に関わり、そのままのめりこむというパターンが典型的らしい。なぜのめりこむかというと、自分の日々の研究の成果が目に見える形で社会に還元されるのが嬉しいから、というのがあるのだそうだ。死体にどんな順番で虫が来るかなんて、まあ一般的にはほとんど役に立たない知識だよね。でもそれが殺人事件を解決するための重要な手がかりになったとしたら、それは確かにうれしいだろうと思う。

興味深かった分野は DNA 検査だ。イギリスでは犯罪者の DNA データベースがすでに作られているようで、現場で採取された体液などから特定できた DNA をそのデータベースで検索することが認められているらしい。そこまではまあ、わかる。すごいなと思ったのが、その検索を半一致で行うことが許されているということ*1。つまりデータベースに登録されている人間の兄弟までひっかけられるのだ。いやまあ、登録して検索するところまでは単にある人がその場にいたってことを示すにすぎないのだから、それ自体は人権の侵害とか差別とかには当たらないよっていう立てつけなのかもしれないけど、そこまでしていいんだったらもう全国民生まれた瞬間に DNA データベースに登録することを義務化しちゃうとかのほうがまだよくないか?と思ってしまう。だって、半一致検索を認めるってことは、犯罪者の兄弟は犯罪者と同じ扱いしていいってことだろ。そんな扱いが許されるぐらいなら、もう全員同じ条件にしたほうがいいんじゃないか、と思う――そして、やっぱりそれにも抵抗感があるのだ。どこに線を引けばよいのだろう。犯罪歴がある人に限られるんだったら、まあなんとなくいいかなと思うんだけど、逆にじゃあそれはどうしていいかなと思えるのか。そういうもんだから? 実際に再犯が多いから? 真犯人にたどり着ける確率が上がるから? 

この他にも病理学、毒物学、指紋、復顔など、はーいろいろあるのねーという感じの全 12 章、どれもけっこう面白く興味深い。日本ではどんな感じなのかもちょっと知りたくなった。おそらく知見は世界中で共有されるんだろうけど、文化、法律、設備なんかは全然違うはずで、それが差異をもたらすことはあるだろうと思う。

*1:とはいえ流石に英国でもこれが認められているのは殺人と強姦だけらしい。そしてこれが認められている国はごく少ないとのこと。