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俳句の何たるかについて、若き日の寺田寅彦夏目漱石が語ったことというのが凄くて、おれは四十もとうに過ぎてやっと俳句の何たるかがちょっとだけわかった気がする。

「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」青空文庫 -- 寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」
特にこの二番目のやつがすごい。「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」 今更と言われるだろうが、これを見ておれは心の中の膝を打った。単にその場面を十七文字で捉えるというだけでは圧倒的に不足している俳句の要件を、めちゃくちゃ端的に表している喩えで本当に見事だ。などと言っているがおれはただの素人なのでおれの評価は無意味だ。俳句を詠む人はこの言葉をどう思うのだろうか。きっと見事だと言ってくれると思うのだが。