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『一度きりの大泉の話』 萩尾望都著 河出書房新社,2021-04-21

話題になっていたので読んでみた。著者の若い頃の回想録、という体裁ではあるが、実態としては竹宮惠子に対する告発文のようなものという印象が強い。2016 年に出版された『少年の名はジルベール』という竹宮の回顧エッセイにおいて(おれはそちらは未読)半ば美化して書かれているらしい若い頃のふたりの大泉における共同生活について、著者が「そんなものではなかった」という反論をたたきつけたような恰好になっている。どうも竹宮の著書が出て以来、“大泉サロン”を神格化するような動きがあり、著者のもとにも当時について話してくれという依頼があったりするのだそうで、著者としてはそんなことはできないと断ってきたのだが、また別のところから依頼が来たりして苦しい……というような事情もあってこれを書くことを決意したようだ。
おそらく半ば聞き書きで、それもそこまでものすごく時間をかけて聞いたというわけでもなさそうで、全体的に構成も文章も若干ゆるい。唐突な冗談や砕けた口調、かたくななまでの自己卑下が目立つのも、聞き書きがベースだからというのは一因になっていると思う。
竹宮との確執を除けば、体裁の通り著者の若い頃の思い出が語られていて、それはそれで中々面白い。雑誌に漫画が掲載されるさまは特に興味深く、ほとんど編集者にはハンドリングされずにこんなもの書きますと言って書いて持っていったら載る、みたいな感じだったらしい。いくら昔の漫画雑誌でも誰にでもそれが可能だったとは思えないが、少なくとも著者はそのようにしていたようだ。それと、原作付きの漫画に関する思いが明快に披露されている章があって、それも面白かったかな。
萩尾望都か、竹宮惠子か、その両方のファンであれば読むべきと思うけれど、そうでない人が読むと確実にある種の居心地の悪さを感じることになると思う。それでも面白いことは面白い。