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暗黒竜と光の剣:決戦を前に

その槍は持っている人物の背丈よりはるかに長かったが、持主はそれを苦にする様子もなく両手で操っていた。
足を肩幅より少し広く置いて、軽く膝を曲げた構えを保ったまま、単純で基本的な動作を反復する。腹の高さにまっすぐ突きを出し、すぐに引く。上半身を左にひねりながら、穂先に最小半径の円を描かせて、左前方の今度は顔の高さに突きを出す。またすぐに引く。一定の速度で、巨大な槍を丁寧に操り続ける。むき出しの二の腕には、よく日に灼けたやや薄い皮膚の下で、鍛えられた筋肉がしなやかにうねっている。
周囲は少し離れたところを低林に囲まれている狭い草地で、ところどころ土や岩がむき出しになっているが、それなりに土地は肥えているようだ。午後も半ば過ぎの低くなった太陽から、やや黄色みを増した陽光が投げかけられる。地面に伸びた人と槍の影が、草地の上でゆっくりと動く。
槍を操っているのは女性だった。まだごく若い。少女と呼ばれる年齢をぎりぎり抜け出したかどうかというところだ。鮮やかな群青色の髪を耳の下辺りで無造作に切り揃え、たたんだ布を巻いて押さえている。力のこもった表情の浮かぶ顔に、わずかに汗がにじんでいる。流石に息遣いはやや荒い。
無心になる心算で始めたが、集中し切れないでいることを槍の主は自覚していた。それでもここまでこの槍を扱えるようになったことはとりあえずよいことだろう、と内心考える。だが迷いは抜けない。先ほどのミネルバ王女の言葉が耳に残っている。
――カチュアなら、竜だってすぐに乗りこなせるだろう。
――竜騎士になってくれるのなら、それほど頼もしいことはない。
嬉しい言葉だった。長年慕ってきた、騎士として尊敬してやまない相手からの思いがけない評価。これまでも自分のやれることはやってきたという思いはあった。天馬騎士として、実力も実績も既に少なくとも姉には劣らない筈だという自負もあった。それでも、ことにこの戦争が始まってからは自分の様々な面での至らなさを痛感させられる日々が続いている。永遠に届かないと思っていたひとから頼られるようにまでなったことに、戸惑う気持ちがなかったと言えば嘘になるだろう。だが、それ以上に誇らしい思いの方がはるかに強かった。
竜騎士になれば、ミネルバの傍にずっと居られる。これまでは天馬と飛竜の速度差のゆえに、肝腎な時に隣を飛んでいることができないことがあった。離れている間に王女が重傷を負ったという報が届いて、心臓が止まりそうになったこともある。そんなもどかしい思いもしなくてすむようになるのだ。
一方で、飛竜はあまり長い時間飛び続けるのには向いていない。以前のように単身の伝令や偵察を任されることはなくなるだろう。危険な任務が多かったが、実は嫌いではなかった。なくなるとなると、寂しい気持ちは拭えない。
「……ふう」
息が上がってきたところで、カチュアは型の動きを中断した。出来不出来はともかくとして、槍の動きが安定してきたのは自分でもはっきり判る。必要な力の入れ方が身体に染み付いてきたこともあるが、それ以上に単純に筋力が上がったことの方が多分大きかった。腕力をつけると共に、体の軸になる筋肉を意識して鍛えてきたことが効いていた。
後方に人の気配を感じた。同時にその気配の主が誰であるかカチュアは判っていた。左足を軸に全身を左に回転させて振り向く。
「やあ、カチュア」
立っていたのは予想通りの人物だった。やはり歳若い、深い青色の髪の青年。カチュアよりは背が高いが、決して大柄というほうではない。しかし初めて会った頃に比べると心なしか肩幅も厚みも増したように思える。アリティアの王子――
マルス様。」 
反射的にカチュアは言ってしまう。「危険です、こんなところにおひとりでいらしては」
「いや、こんなところと言っても、ここは一応我が軍の陣内だよ」
マルスはおだやかな笑みを浮かべて応じる。「それに私だって自分の身ぐらいは自分で守れる。ましてマケドニア白騎士団屈指の騎士が側にいるんだ。危険だとは思えないけどな」
「前半はおっしゃる通りですし、後半はわたしなどには勿体ないお言葉です。でも、危ないものは危ないです」
眉をひそめてしまうカチュアを見て、マルスは再び笑う。
「真面目だね、カチュアは」
その視線が、草地を囲う低林の先へ向いた。低林の先にはいったん草原が広がっていて、さらにその先には深い森がそびえている。森のうしろにはごつごつした低い山なみが連なっており、山脈を越えればそこはもうマケドニア王国だ。
「とうとうここまで来てしまった」
マルスはつぶやくように言った。「あなたたちの国と、結局矛を交えることになってしまった」
その言葉には自責の響きが少なからず含まれているように聞こえた。
「あの日――レフカンディで天馬を返したときから、この日が来ることはわかっていました」
カチュアは言った。それは偽りあらざる想いだったし、自分の中でも何度も反芻して消化してきた感情だった。
「自分の生まれ育った国と戦うことについて、平気だとは言えません、もちろん。でも、あのままマケドニアにとどまっていれば、もっと深く後悔したことでしょう。それについては確信があります。おたがいが正しいと信じるところの違いから戦は起こるのですから、どちらにも正義はあるし、どちらにも悪はある。その中で、自分の選択が間違いだったと思ったことはありません。それであれば、母国に槍を向けることもやむを得ないことです。わたしはそれをためらいません。」
「そう言ってもらえるのなら、少しは気が楽になるけれど」
マルスの表情がわずかにゆるんだ。
「でも、めちゃくちゃ強いですよ、竜騎士団」
カチュアははっきりこれは冗談なのだとわかるように、笑みを浮かべて言った。それが冗談ではあり得ないことをカチュアは誰よりもよく知っていた。
「……まあ、何の対策もないわけじゃないさ」 
マルスはわずかに自嘲するような笑みを浮かべて、視線を逸らした。

その視線が、カチュアの持つ巨大な槍に向いた。
竜騎士になる心算なのかい?」
天馬の体格ではこの大槍を支えることはできない。飛翔力は足りるが、乗り手の身体が回転してしまう。この槍を持つことは、すなわち竜に乗ることを意味している。
「実は、まだ迷っているのです」 カチュアは率直に応じた。
飛竜に乗るのはやはり難しいのか、とマルスは問うた。
そうではありません。
カチュアは応えた。どちらかと言えば、天馬に乗るよりも竜に乗る方が簡単だと言われているほどです。
「わたしの知る限りは、ですが、竜の方が人を背中に乗せることを仕事だと割り切っているように思えます。天馬はもっと乗り手との絆を大事にします。」
「そうなのか」
マルスは軽く驚いた様子を見せた。「……ミネルバ王女を見ていると、飛竜も乗り手と深く心を通わせているものだと思えるのだけど」
「もちろん、竜と理解しあっている乗り手もたくさんいます」
でもミネルバ様ほどしっかり竜の心を掴んでいる乗り手は滅多にいない――という言葉は、心の中にとどめておいた。
「そうなのだろうね」
少し間を置いて発せられた返事は、まるでカチュアの胸の裡の言葉に返答したようだった。
「迷っているのは、どうしてなのかな」
マルスは話題を戻した。
「わたしの個人的な事情――というより、ほとんどわがままなのですが」
水を向けられたので、カチュアは言っておくことにした。「ずっと一緒にやってきた天馬のことが心配なんです」
「ああ、フロリスだっけ?」
マルスが天馬の名前を憶えていたことにカチュアは驚いたが、当のマルスはそれをなんとも思っていない様子だった。「カチュアが竜騎士になれば、だれか別の騎士と組むことになるんだよね」
「そうです。まだ若いですから、きっとそうなるでしょう」
一旦言葉を切ったが、マルスは先を促すように黙っている。
「……フロリスは、幼い時からわたしとずっと組んできたので、わたし以外の騎士を乗せたことがありません。賢い子ですから、上手くやるだろうとはわかっているのですが、それでもどうしても心配ではあります」
言いながら、だんだんカチュアは自分の頬が熱を帯び始めるのを感じていた。こんなことはわざわざ伝えるような内容ではない。
「特別に退役させてもらえないものだろうか」
マルスはちょっとだけ考えてから応じた。「若いとは言ってももう充分に死線をくぐったんだ、休ませてやりたいと言えば通るのではないかな」
「あ、いえ、」
「それとも、状況に応じては乗るということにして、同行させてもらう――」
「あのっ」
マルスが本気でなんとかしようと考えていることが判って、カチュアは思わず少し大きな声を出してしまった。さすがにマルスもわずかに目を見開き、言葉を切った。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。頬の熱が引かない。
「……いいんです。本当に、単なるわがままなので。」
敢えてカチュアはゆっくり言った。「フロリスは賢い子です。充分な経験も積んでいます。若い騎士にとって、その経験はきっと頼りになることでしょう。天馬の一頭一頭も、白騎士団にとっては貴重な戦力なんです。」
半ば以上は自分に言い聞かせていた。何度も考えて、頭ではわかりきっていることだった。あとは自分がどう割り切るかでしかない。
マルスは口を開きかけたが、何も言わずに口を閉じ、ゆっくり肯いた。口許に浮かぶ微笑みに似た形を見て、カチュアは頭を横に振った。

マルスさまーー!」
聞き慣れたよく通る声が届いた。
目をやるまでもなく、声の主が誰であるかカチュアにはわかった。タリスの王女シーダ。声の角度からして天馬に乗っていて、かなりの速度が出ているようだ。そちらへ振り向きながら、横目で目の前にいる王子の表情を無意識にうかがっていた。同じように振り向きながら、その顔にごく当たり前のように微笑みが浮かんでいる――婚約者が呼ぶ声がしたのだから、笑うのは当たり前だ。でもその笑顔が目に入った刹那、カチュアは自分の胸にわずかに刺すような痛みが走るのを知覚している。
シーダ、おろして」
マルスが少し強い口調で言った。王女は素直に従って高度を下げる。ふたりの横に天馬が滑り込むように降下してきて、翼を逆煽ぎしながらだだだっ、だだっ、と着地する。風が巻き起こり、マルスとカチュアの間を吹き抜けた。
わたしならこんな風にはおろさないのにな。それ以前に、陣の端に近いところで不用意に天馬をあんなに高く飛ばしたりしないけれど……
マルス様、だめですよ、こんなところに」
手綱を引き、振り向きながらシーダは言った。背中まで伸びる青い髪が大きくなびき、午後の陽光を浴びてきらめく。その身体は王女としては驚くほど鍛えられていたが、騎士の頑健さには到底及ばない。戦うときには細身の槍を操るその二の腕はカチュアよりはっきり細かった。
「ふたりとも同じようなことを言うんだね」 マルスは屈託なく笑った。「私はそれほど頼りないかい、やっぱり」
そこでシーダはようやく傍らに立っていたのが誰かわかったらしく、にっこりと微笑んだ。「あら、カチュアがいたのね! それなら安心だわ」
ふたりとも同じようなことを言うんだな、と思ったが可笑しくはなく、それでも口元には笑みを浮かべた。「おふたりとも、ここにいるべきではありません。お戻りください」
「ああ、そうだった」
シーダは真顔に戻って、「連れ戻しに来たんです、マルスさま。あらゆる人がマルスさまを探してますよ」
「あらゆるってことはないだろう」
「ではひとりひとり申し上げましょうか? ジェイガンさま、チェイニーさま、アベル、マリク、……」
マルスは珍しく唇を曲げて応じた。……たった半時も外すことが許されないのか。
残念ながらそうなんです。さあ、後ろにお乗りください。
シーダがそう言って鞍の角度を少し変え、天馬の背中に空間をつくった。ごめんなさい、カチュア、置いていくことになってしまって。
カチュアは虚を突かれて反応が遅れた。「……大丈夫です」
マルスは小さくため息をついて天馬に歩み寄ったが、一歩手前で立ち止まった。カチュアは駆け寄り、かたわらに槍を置きながら地面にひざまずくと、立てた膝の上に右手を置いた。
「ありがとう」 マルスは天馬の背中に手を置くと、カチュアの掌に足を乗せて身体を持ち上げた。カチュアがその手でマルスの踵を押し上げると、王子はひらりと身体を躍らせて天馬の背中にまたがっていた。「……フロリスのことで、私にできることがあれば言ってくれ。では」
カチュアが返事もできずかろうじてあいまいにうなずいたのと同時にシーダが天馬を返し、今度はごく低い高さを飛んで本陣のほうへ戻っていく。手綱さばきは巧みだ。マルスの両腕がシーダの腰に回されているのが目に入った。落ちないためにはもちろんそうしなければいけない。それもあっという間に遠ざかって見えなくなった。

カチュアは地面に置いた槍を拾い上げた。
その瞬間さまざまな思いが去来して、少しの間茫然としてしまった。自分がなにをするためにここに立っているのかもわからなくなり、右手に持った槍を持ち上げかけてようやく思い出した。両手で槍を握り直し、足を開いて腰を少し落とすと、正面に向けて槍を構えた。
おもむろに先ほど中断した動きを再開する。
――ほんとうはフロリスのことなんかじゃなかった。
突きを出す。引いてから穂先の向きを変え、また突き出す。引いて、回して、突く。
もちろん愛馬のことは心配だが、それは本当にどうにもできないことで、自分の中でも答えは出ている。
危険な任務が多かったのに嫌いではなかったのは、指揮官にまみえる機会が多かったからではないか。直接話す機会を失うことをこそ、自分は恐れているのではないか。
槍が重くなった気がした。歯を食いしばり、握り直して、動かし続ける。脳裡に浮かんだ王子の顔を振り払うために。
真左から真右へ槍を回して、突きを出す。横に払って、引いて、また向きを変えて、素早く突く。いったん冷えた身体が暖まりはじめた。しかし動きの切れが戻らない。なにかがまとわりついたような、歯切れの悪い動作になってしまう。
今度はタリスの王女の姿が頭に浮かんだ。艶のある長い髪、親しみやすいのに整った顔立ち、澄んだ声、自分よりひと回り細い腕――
気がつくとカチュアはその場に立ち尽くしていた。槍を動かすのも止めてしまっていた。
胸が苦しい。肺がうまく空気を取りこめていないようだ。その場にへたり込むように座り、槍を置くと、地面に後ろ手をついた。息が浅くなっていることをようやく自覚する。しいて大きく息を吸って、長く吐き出した。
少しの間奔流のように頭を通り過ぎる想いを、ぎゅっと目を閉じてやりすごした。
天を仰ぐ。白みがかった青空に薄い雲が刷毛で描いたように伸び、様々な方向にうねりながら幾重にもなって広がっている。そういえば、初めてフロリスに乗って飛んだ時あんな雲を見た気がする。どこまでも行けるように思えた、遠く遠く、高く高くへ、天馬にまたがっているかぎり。
ゆっくり息を吸って、長く吐き出した。
どうしても肩を落としてしまう。だめだめ。カチュアは頭を振った。座ったまま背筋を伸ばして、あらためて胸を張る。
「はっ」
カチュアは槍を手に取ると、わざと声を出して気合を入れながら一気に立ち上がった。
風が吹いた。少し長い間強く吹きつけて、耳の少し下で切りそろえた群青色の髪をなびかせた。それでもカチュアは目を閉じなかった。天馬騎士はなにがあっても目を閉じてはいけない。その身体が地にある時でも。
やがて風が止んだ。周囲を見渡してから、歩き出した。来た時より長くなった影がつきしたがってくる。
先ほど感じた胸の痛みは消えてはいない。それでも、自分の歩むべき道は見えている。
カチュアは槍を握り直して、ゆっくりと足を進め続けた。



元ネタは『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』。
ペガサスナイトからドラゴンナイトにクラスチェンジしたときに、いったい何が起きているんだろう、というところから着想して書きました。もともとの力が低い場合は上がるんですけど、ということは実は秘かに鍛えているのではないか……?とか、それまで乗っていた天馬はどうなってしまうんだろう、とか、あとこの話ではオミットしてますが新しく乗る飛竜はどこから連れてくるんだろう、という観点でも一本書けそうですね。
あとは、単純にカチュアさん書きたかった! たぶん書いたことなかったので。曲がりなりにも書けて満足です。
これ、DS 版の暗黒竜と光の剣が出たタイミングだった憶えがあるのでたぶん 2008 年に書き始めました。「マルスはわずかに~視線を逸らした。」あたりまでは一日で書いたと思います。そこから寝かすこと幾星霜、ようやく日の目を見ることになりました。なんかもうこの手のもの手元で腐らせててもしょうがないなと急に思ったので完成させて公開しましたが、恥ずかしくなったらまた引っ込めるかもしれません。