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『においが心を動かす ヒトは嗅覚の動物である』 A・S・バーウィッチ著/大田直子訳 河出書房新社,2021-07-21

嗅覚についての本。おれは自分の感覚にわりと興味があるのでこの手の本好きなんだが、しかしそんなおれでもこの本はなかなかしんどかった。とにかくもどかしい。
五感については視覚についての研究が一番進んでいるようで、つぎに聴覚、だいぶ離れて味覚、そこからも置いて行かれて嗅覚という感じらしい(この手の話する時触覚が抜けがちだが実際のところどうなのだろう。ちょっとまたほかの四つと違うところも大きそうなのだが)。古代ギリシャの昔から嗅覚に言及する哲学者は少なく、それ以後もずっと軽視されてきた。五感のうちどれかひとつを永遠に失うとしたらなにを選ぶ、と聞かれたら嗅覚と答える人は多いんじゃないだろうか。実際おれもそう答えそうな気がする。
で、嗅覚だが、これが実に厄介な感覚で、調べるのも理解するのも難しい。そもそも実験をするときに意図した匂いを作り出すのが難しいし、被実験者がなにを感じたかを調べるのも難しい。解剖学的アプローチはできるが、それでもわかることはわずかだ。
それでも少しずつわかってきたことはある。鼻の奥にある受容体は実に様々な物質に反応するが、味覚のように基本の感覚がいくつかあってそれを足しあわせてにおいが形作られるというものではないことはすでにわかっている。他方で、物質と受容体が一対一で対応しているわけでもない(これはまあ直感的にわかる)。いくつかの受容体がひとつの物質に反応する。たいていの場合においはいくつかの物質の混合体からかもしだされる。だから複数の物質がそれぞれ複数の受容体を刺激し、その総和的なものがにおいとして脳に認知される。なので、総和が似たようなものになればそれぞれの構成要素は元の物質と違っても似たようなにおいとして認識される(場合もある)。有名なものに、生ごみのにおいにあとふたつなんだったかのにおいを足すと脳はポテトチップのにおいだと思う、というのがあるらしい。これはにおいのシステムをハックできた数少ない例だ。
外の物質を鼻で嗅いだ時に感じるにおいである「オルソネーザル」と、口の中に入れたものから感じるにおいである「レトロネーザル」は必ずしも一致しない、ということもわかっている。著者がその例を説明する時に「コーヒーは香り高いけど口に入れるとひどい味がするのはこのためだ」みたいなことを書いていて笑ってしまったのだが、においの研究者でもコーヒー嫌いな人はいるんだなと思うとちょっと面白い。
わかっているけど説明がつかないことも多い。同じ物質でも濃度が違うと別のにおいとして認識されることがしばしばあるのもそのひとつだ。ある物質は、濃度が低いぶんには木のにおいや果物のにおいとして認識されるが、濃度が高くなると非常に不快なにおいに感じられる。このにおいには遺伝的に感度が低い人や全くない人もいるが、そういう人でも特定の刺激をすると感受性を誘発させられることがわかっている。するとどうなるか。最初のうちは木のにおいや果物のにおいを感じる。ところが、慣れてくるとだんだん不快なにおいを感じるようになるのだという。この実験をした人は「この結果からわかることよりも、生じる疑問のほうが多い。」と率直に書いていたらしいけれど、研究者でも困惑していることがよく伝わってくる。
人間の嗅覚も、思っているよりは強いらしい。特に、ふたつのにおいが同じかどうかを判別する能力はかなりいいところまでいくのだそうだ。だが、それが何のにおいであるかを認識するのは相当へたらしい。自分の家の冷蔵庫に入っている食材を、だれか自分以外の人にランダムに出してもらって匂いだけでなにかを当てる、というテストをすると、びっくりするほど当てられないという。冷蔵庫の中味は全部知っているもののはずなのに。「ああ、あれだよ、あのにおい」という感覚と、実際のものを結びつけることが人間は苦手ということのようだ。ソムリエや調香師はその言語化の感覚というところを集中的に鍛えているが、それぞれ別の言語化のメソッドを持っているため、おたがいではその話は通じづらいらしい。
とまあそんな感じでまだまだ分からないことも多いが、それでも少しずつは前進しているようだ。そこそこ先端に近いっぽいあたりの様子が知れたのはよかった。おれが生きている間に、電気信号だけでにおいを感じさせることができるようになるだろうか。