黄昏通信社跡地処分推進室

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部首について

先日の漢字検定で部首の話が出たので、ついでに。
部首というのは所詮漢和辞典を引くための道具に過ぎないとおれは思っている。そしてその分類はそれぞれの漢和辞典で完結しているもので、それに全人類が持つべき共通の認識が存在しているとはそもそもおれは考えていない。だから、それこそ漢字検定とかクイズで出される「この漢字はこの部首」という一対一対応自体がナンセンスなものだと思っている。六割ぐらいは妥当な分類をしていると思うけど、三割ぐらいは釈然とせず、残りの一割には腹が立つ。それでいて、憶えたところでたまーに漢和辞典を引くとき以外役に立たないのだ。
部首をひとつも教えるなと言っているわけではない。漢字の成り立ちを理解する上ではとても大事な要素だし、漢字そのものを憶えるのにも、他人に漢字を伝えるときにも部首は大変役に立つ。よく使う部首の形と名前は知っておいたほうが絶対にいい。だけど、どの漢字がどの部首かというのは別に覚える必要はない。「字」をうかんむりから引いても子から引いても最終的にたどり着ければいいではないか。
我が家にあった、そしておれがぼろぼろになるまで読んだ漢和辞典は、部首の合理的な分類に腐心していた。ふたつ以上の部分に分けられる漢字であれば左か上にある要素を優先する、という極めて明確な方針のもとに部首を定めていた。もちろんそれとて万能ではなく、引くときに悩むような漢字がなくなるわけではない。それでも明確な基準がある限りどの部首に分類されているかのだいたいの見当をつけることが誰にでもできる。旧来の誰が決めたかもわからない一対一の不合理な“部首”を全部かなぐり捨てて、使いやすい合理的な分類を作ろうとした、その志が本当に頼もしく思えて、好きだった。
おれにとっては、これまでの半生で一番多く読んだ漢和辞典が採用していた部首が、世間一般の一対一の“部首”とはかなり食い違う、ということになっている。でもおれにとっては部首ってのはそういうもんだし、漢和辞典を引くときにはその辞典のルールに従えばいいと思っている。