黄昏通信社跡地処分推進室

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韻を踏むことにあんまり意義を感じないこの言語において

おなじみ眼鏡探しより。コメントにはちょっと長すぎるのでトラックバックしてみる。


大地真央ブラザーズバンド」
「なんつーか……とにかく歯切れが悪いな」
これが既出でないことにAが驚いていたのだけど、理由らしきものとして考え付くことはある。みもふたもなく言ってしまうと、口に出してみると判るのだが、根本的に字面ほど似ていない、のが多分最大の理由。(似ていないから「思いつきづらい」→「既出でない」のであって、面白いか面白くないかとは別。)
ここから先は感覚的な話になってしまうのだが、日本語って頭韻より脚韻の方が響きの上でちょっとだけ重要なんじゃないだろうか。あるいは撥音だからそうなのかも知れない。例えば「新幹線に震撼せよ」と「新幹線は感心せん」だと、音自体は前者の方が揃ってるけど、後者の方が似てると感じると思うんだよね。これと同じ意味において「大事MAN」と「大地真央」はあまり似ていない、少なくとも字の揃っている数ほどは似ているように感じない。のだと思う。まあ全く個人的な感覚なので他の人がどう感じるかはわからないが。そしてそれが違ったらこの文章何の意味もないのだが。
で、もっと具体例を挙げて検証すれば辿り着くところがありそうだけど、とりあえず思いつかないし今日はここまでであとは「引っかけて」おく。またなんか思いついたら書く。多分。