黄昏通信社跡地処分推進室

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言葉を殺すということ

「確信犯」という言葉は旧来の意味から随分色々な方向に広がっていて、意味と同時にニュアンスもこもり始めていて、中々味のある言葉になっていたと思うのだけど、数年前に「誤用」が指摘されてから、広がり始めていた意味が殆ど「誤り」とされてしまった。実に勿体無かったことであるなあ、と思う。その指摘があってからは、自分でも日常やらこういう日記書く時やらで「確信犯」という言葉を使いたくなった瞬間にも、いやいやこれは間違ってるんだよな、と止めることが時々あったのだが、第一にほんとにそれが割とよくあったし、第二に大抵適切な代替が思いつかない。だからこそこれだけ「誤用」が広まったのだろうし、逆に旧来の意味で使うことは少なくなっていたから、ちょうどおれたちは言葉の意味が変わる瞬間に立ち会うことになっていたことになる。だけどそれがふいになってしまった。便利でちょっと面白くてどこか揶揄するようなニュアンスがこもっていて、いい言葉だったのに。もっとも、言葉が生き物だとすれば新たに生まれたり姿を変えたりするのと同じように死ぬこともあっていい筈で、これはこれでこういうもんだと言うほかないのだけど。