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when と if のちがい

『ピーナツ』に登場するライナスは、頭がよくて物知りで大人びていて、というキャラクターとして描かれているのだけど、いくつか明確な特徴が付与されている。ひとつが有名な毛布で、もうひとつ「カボチャ大王*1を信奉している」というのがある。
ライナスによると「カボチャ大王はハロウィンの夜にカボチャ畑から飛び立って、世界中の子供たちにプレゼントをくれる」ということになっていて、ライナスはことあるたびにいろんな子にその話をするんだけど、もちろん誰もそれを信じてくれない。だから、毎年毎年ライナスはハロウィンの深夜、ひとりカボチャ畑でカボチャ大王を待つ。そして翌朝の明け方に「身も心も失望で凍りそうになり」寝床に入る。
ハロウィンの晩だから、他の子供はみんな例の「トリックオアトリート」をやって、たくさんお菓子をせしめている。時々そのうちの誰かがそのお菓子を持ってライナスのところに来てくれたりもする。
ある年に、チャーリー・ブラウンが例によって独りで待っているライナスのもとにやってきて、どうだい、とお菓子を渡す。そして、カボチャ大王によろしく、とかなんとか言って立ち去ろうとする。それに対してライナスは「もし彼が来たら(if he comes)伝えとくよ」と言ってしまう。
「“もし”?」('IF'?) チャーリー・ブラウンは訊く。
「“その時”ってつもりだったんだ」(I MEANT 'WHEN'.)
4コマ目でライナスは絶望して叫ぶ。「もう駄目だ!こういう小さなミスがカボチャ大王を通り過ぎさせてしまうんだ!」
初めて読んだ時は小学生だったので、このニュアンスが全然理解できなかったのだけど、長じて意味がわかるようになってからはなにか独特の味わいがあるなあと思うようになった。ライナスがカボチャ大王への信仰に対しているハードルの高さ、決して同じものを信じることはないこと、本気で信じているわけじゃないこと、それでもチャーリー・ブラウンは様子を見に来てくれて、ライナスはまた絶望する。

*1:カボチャ大王:原語だと「the Great Pumpkin」。「カボチャ大王」はいささか所謂「訳しすぎ」の印象だけど、でもとてもよい訳語だと思う。