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『know』 野崎まど ハヤカワ文庫 JA,2013



『know』 野崎まど ISBN:9784150311216


一目置く相手の好きなものに触れてみる、という動機で本を読むことがたまにある。野崎まどはコンドーさんことid:cider_kondo さん*1がどこかで絶賛していたのを見てちょっと気になっていた。たしかほめていたのは「短編劇場」だったのだが、とりあえず先に読む機会を得た本作を読んでみた。


今から約 70 年先の近未来、超情報化社会(←これは作中にほんとにそういう表現が出てくる)が実現していた。あらゆる人工物に「情報材」が練り込まれ、あるいは塗布されて、それらは微弱な電波を発してありとあらゆる場所の様々な情報をモニタしている。一方人間の脳にも「電子葉」をインプラントすることが法律で義務づけられており、人は外部デバイスなしに世界中の情報にアクセスできるようになっていた。電子葉が一般化する前の世代は自分の記憶の中にあらかじめあったことだけを「知っている」というが、若い世代はもはや電子葉で調べられる知識はすべて「知っている」という表現を使う。
とはいえあらゆる個人情報がだだ漏れになっているかというとそんなことはなく、各人はそれぞれ情報アクセス権限の「クラス」を持っている。クラス0はほとんど被差別民のような扱いで、自分の情報は一切守られず、他人の情報にはほとんどアクセスできない。一般人はクラス1〜3まで、その上にクラス4、5があり、最も高いクラスが総理大臣ほかごく限られた人間にだけあたえられるクラス6だ。主人公御野・連レル(おの・つれる)は情報庁に勤める公務員で、28 歳の若さで審議官になりクラス5の権限を持っているが、物語の冒頭の時点ではそれをろくなことに使っていない。
この辺りは実に王道の SF という感じで、現実にある技術の一歩先を想像したものになっている。あまりひねりや飛躍はないけれど、その分地に足がついているとも言えて、冒頭で主人公が悪用してみせる情報権限は素朴にちょっといいなあ/やだなあと思えるような類のことだし、この設定と導入はかなり好みだった。


情報材と電子葉の設計と構築を行った天才科学者道終・常イチ(みちお・じょういち)は、かつてとあるきっかけで主人公と一週間だけ接点を持ったことがあった。主人公は常イチに感化されてクラス5の道をめざす。ところが常イチはある時自らの進めていたプロジェクトの成果物ごと忽然と姿を消し、主人公は常イチが残したものが自分の思っていたようなものではなかったと一旦は諦めかける。しかし常イチの残したプログラムをなんとはなしに眺めていた主人公は、そこに隠された意味を見出し、常イチへ通ずる手がかりの糸をたぐっていくうち、自分が触れていなかった世界の存在を知る。
というわけで、ここからは隠されたクラスやら、常イチが目指していたところやら、それにたどり着くための手段やら、という方向に話は向かっていく。正直なところ、作者がこの物語で語ろうとしているヴィジョン(=情報量と計算力を極端に集積させた果てに何があるか)におれはあんまり同意できない。それはあまりにシンプルすぎる。しかしそのシンプルすぎるヴィジョンを大真面目に提示してみせる図々しさはかえってすごいと思ったし、そのヴィジョンの下で展開される物語も楽しめた。クライマックスの「対決」も、その凄さをつたえるためのお膳立てが巧く、はったりがしっかり効いていてよかった。


近未来、しかも日本(京都)を舞台にした SF ということでとっつきやすかったし楽しんで読めた。あらためて作者の他の作品も読んでみたいと感じた。

*1:そういえば、マジック・ザ・ギャザリングを知らない人にはこの id を「シダー・コンドー」と読むことが決して自明ではないということに最近ようやく気がついた。