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カルガモ以外

今朝はカルガモを見られなかったので全く関係ないことを書く。
『PEANUTS』のかなり後期に、サンバイザー姿のスヌーピーがテニスラケットを片手ににやにやしながらネット越しにもう一方の手を差しのべて「GAME, SET, MATCH ... LIFE!」って言ってる*1、という一こまの作品があるんだけど、これが谷川俊太郎の訳だと「ゲーム、セット、マッチ……人生だなあ!」となっている。
テニスをやる人とかテレビででも見る人ならこれがあまりいい訳じゃないことはすぐわかる。テニスではポイントが入ると審判がいちいちポイント状況をコールして、たとえば「30-15」とか言うんだけど、これが一方が1ゲーム取った時には「ゲーム、ミスター某」みたいになる。そして、そのゲームを取ることでセットも取った場合は「ゲーム、セット、ミスター某」となる。さらにそのセットで試合が決まれば「ゲーム、セット、マッチ、ミスター某」という具合。
だから、冒頭の科白は「ゲーム、セット、マッチ、ついでに人生もぼくの勝ち!」とかなんとかしなきゃいけない。少なくとも、このマッチを取ったことで人生も決まったね、とスヌーピーが言ってしまうその稚気を伝えないといかんわけです。しかしこの翻訳ができるかどうかには英語力は全く関係ない。ゲーム、セット、マッチ、人生、それ自体はどんな辞書にでも出てるし小学生にでも訳せるだろう。
村上春樹が『そうだ、村上さんに聞いてみよう』で「翻訳をする上ではこのような何の役にも立たないことを死ぬほどたくさん知っている必要があるのです」というようなことを書いていたのだが、まあこういうことであろうと思う。自分で英文を訳していた時、たまたま上のような例に突き当たると嬉しく思ったものだが、同時にその何倍もの自分が拾えていないだろう事象にどうしても思いが至ってしまい、いつも気が遠くなるような感じがしたものだった。翻訳というのは本当に大変な作業だと思う。
なにが言いたいかというと、なぜ村岡花子は『アンの青春』以降では「マシュー」と書くようになってしまったのか、ということです。絶対マシュウのがよくね?
※マリラのツンデレぶりに関する考察はまた次回書きます

*1:言ってる:という表現にしたが実際にはピーナツでスヌーピーが言葉を「発する」ことは決してなく、独白には全て「内心思っている」形のふきだしが使われている。とはいえピーナツを知っている人には既知の事実であるし知らない人には説明する意味がないのでこの文では「言う」「科白」で通す。