黄昏通信社跡地処分推進室

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『WALL・E』 アンドリュー・スタントン監督,2008

結構評判もいいし観に行ってみた。とうとうおれもピクサーの軍門に下ったというわけだ(違う)。CG の凄さは想像以上だったが、それ以外の部分はなんだこりゃ、と思うところも少なからずあった。中々評価が難しい。
例えば、閉じていてかつ持続可能な環境を作れたらどう考えても抜け出す価値はないし、多分それ以前に考えも及ばないだろう。そのテーマでクラークなら長編一本(もしくは二本)書く。
みたいなことをもにょもにょと思いついてしまうと、別にそんなことを気にしなくていい映画だと判っていても、どうしても悪い意味で引っかかる感じは残ってしまう。
よかったのは、ウォーリーはロボットなので基本的にあらゆる部品が交換可能であって、具合が悪くなるとためらいなく取り替える、というところ。同型機がもの凄くたくさん売れてたのでそこら中に残骸が転がってて、自分のより状態がよさげな部品を見つけるとストックしといたりその場で交換したりする。そういう「生活感」みたいなのがでているのはとてもよかった。自分の家に帰ると無限軌道を脱ぐところなんてすごくそれっぽい。
そうなると古典的な問いだけど魂はどこに宿るのだろう、みたいなのは当然あって、そこに踏み込むようなシーンもある。しかしそれに対する回答は……まああれがこの映画なりの回答なのかなあ、というのはあるのだけど、どうにもすっきりしなかった。
アニメーション技術は、素晴らしかった。むろんアニメの先端を追っているわけではないので「どう凄いか」というのをはっきり理解しているわけじゃないんだけど(だいたい先日まで 30 年前のセル画アニメばっか観てたわけだし)CG のアニメーションがここまで表現力増してるとは思ってなかった。技術的なことじゃなくて、作り込みとかマシンパワーとかの方がむしろ凄いのかも知れないんだけど、それにしてもここまで来たか、と思ったのは事実。
セル画のアニメと CG のアニメではもちろんコストも違うだろうし、あと表現方法としても多分水彩と油彩とかみたいな違いがあると思うんで、どっちが優れているとかは問題にならないとは思う。
結論としては、ウォーリーが可愛かったのでよし、という映画。