黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

懐かしさって結構不思議かつ厄介なものだと思う。昔の日本の田舎の風景とか見ると郷愁をかきたてられたりするけど、いやでもおれ別に昔の日本の田舎になんの思い出もないですし、というのが不思議なところ。日本ならまだわからないでもないんだけど、海外の映画なんか見てると明らかに自分の体験や記憶が全く根ざしていないものに対しても懐かしさが湧いてきたりすることがある。なにかメカニズムはあるのだろうけど(なんにでもかんにでも懐かしさを覚えるわけではないのだから)、少なくとも一般に思われている懐かしさというものと、実際に人が感じている「懐かしさ」にはいくらかのずれがあるのではないかと思う。
厄介さについては、懐古主義的な人が反動的なことを主張するときにその「よかった昔」が上で書いた偽りの懐かしさに根ざしてたら面倒だよなー、というようなことをこのエントリの一行目を書き始めたときには考えていたのだけど、特にそういう実例を思いつかないし実のところそういう人が厄介なのはその昔がほんとによかろうとも悪かろうとも多分あんまり変わらないので、まあ可能性としてはあり得るけど実際のところそれほど問題にもならないというところか。
ああ、あと厄介要素としては懐かしさって基本気持ちいいってことがある。それは偽りの「懐かしさ」でも同じなので、人間いい記憶だけが長く残る、とかいう話ではない。でももしかするとどこかでつながっているかも知れないとも思う。というか、その辺りから偽りの懐かしさに通じる何かがあるかも知れない気はする。ここら辺は完全に感覚なのでまあ殆どあてにはならないかな。