黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

幼児雑誌の広告でリトミックという言葉を見かけて「リトミックって何?」と妻に聞いたところ「音楽を使ってリズムに合わせて身体を動かしたりしながら子どもに身体能力とか集中力とか学習能力とかを身につけさせようっていう、呪い」とか説明してくれてくそ面白かった。
おれは乳幼児の将来を人質にとってその親からお金を巻き上げようとする行為全般は唾棄すべきものだと見做していて、早期教育の多くはその類のものではないかとも考えている。もちろん意味のある早期教育もあるのだろうと思うし、他の家庭で早期教育に取り組んでいるような話を聞くとむしろ尊敬に値するとも思う。だけど、それはそれとして有用な早期教育の割合は高くないと直感的に思うしそれを適切に評価することにいたっては不可能に近いと考える。
そしてここら辺の価値判断の形成の裏には「そんな余裕ねえよ……」という身も蓋もない事情が横たわっていることもまあ確かだ。酸っぱい葡萄という奴だ。もっとお金があればきっともっと迷っていただろうし、今頃はなにか習い事のひとつも始めさせていたかも知れない。ひとつ前の段落で信念めいたことを書いたばかりだがしょせんはこの程度である。
まあたぶん、正解というものはないのだろう。子育てがすべからくそうであるように。あとはちゃんと考えを持つことと、後悔しないであろう選択をすることだ。





上で妻が呪いという言葉を使っているのはもちろん半分ねたではあるのだけど、でも子育てをしていると「これは呪いだなー」と思うものにはしばしば出会う。その概念を知っただけで延々とそれにとらわれてしまうというのは充分呪いたり得てると思うんだよね。早期教育って往々にしてそういう側面があって、親ってのは子供の可能性をなるべく信じたい生き物だから呪いにかかりやすい。むずかしいものだ。