黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

逆レーシック

何度か書いたことがあるが、父は若い頃からいわゆるガチャ目だった。それも 1.5/0.3 とかいう相当な大差がついていた。ガチャ目はいい方の目が悪くなりやすいというが、父についてはそれは当てはまらないみたいだった。個人的な考えだが、多くのガチャ目はいずれ両目とも近視になる人が、なんらかの事情で片目だけ先に症状が進んだ状態なのではないかと思う。とにかく父はそうではなかった。
父によるとそれで日常生活で困ることは全くないそうだった。あるいは高い動態視力や(目を使う)細密な作業を要求される職業であれば困難もあったのかも知れないが、幸いそのような職業ではなかった。テニスやスキーなども若い頃は当たり前に楽しんでいたようだった。唯一困るのは自動車の運転で、かつては片目だけでも視力が基準値に届いていなければ眼鏡を着用する必要があった*1。困るのは眼鏡の着用を忘れてしまうことだった。


さて、中年にさしかかると人間には老眼という奴が忍び寄る。近視の人はその屈折異常のゆえに老眼の影響をある程度のところまで軽減することができる。ガチャ目の人においても、近視の方の目については例外ではない。するとどうなるか。いい方の目は老眼の影響を受けるが遠くは相変わらず見える。近視の方の目は遠くは見えないが老眼の影響を受けにくい。すると自然、遠くを見るときはいい方の目、近くを見るときには近視の方の目を使うようになるのだ。そしてその使い分けは本人が意識することは一切なく脳が勝手にやってくれるらしい。つまり遠近両用眼鏡が内蔵されているようなものだ。実際父は還暦をひとまわり過ぎても裸眼でほぼ不自由なく暮らしている。老眼鏡は持ってすらいないそうだ。


これは理想の形態と言ってもいい。


だとすれば、この形態を人為的に作り出すのはありなのではないか。両眼とも近視ではない人の片方の目に手術を施し、人為的な近視にする。そうすれば近くを見るのも遠くを見るのも眼鏡要らずだ。もちろんレーシックとは違う技術が必要になる。あれは削って薄くしているので、その逆をしなければならない。なにかを「盛る」のは多分難しいだろう。さて、可能だろうか。


……というところまで妄想して調べてみたら、流石に老眼の治療としてそういう手術はすでにあった。角膜に刺激を与えて変形させて、中心部から少し離れた辺りの焦点距離を変えるらしかった。そして基本的には片目に対してのみ行い、かつ事前に左右視力が異なる状態への適応検査を行うのだそうだ。左右の視力が違うと頭痛や吐き気などを呈する例もあるらしく、つまり誰にでもできるものでもない。父ほど便利な状態になれるものかどうかもわからない。しかしとにかくもあるのだから、まるっきり的外れな発想でもないみたいだ。
ここまで書いてきて思いついたのだけど、レーシックも左右で度を違えるみたいなことができるんじゃないだろうか。それこそ適応の問題とかありそうだけど、せっかく矯正しても今度は老眼で苦労するとしたらわりとばかばかしい気がしないでもないので。

*1:いまは片目の視力が 0.7 以上かつ視野が 150°以上あればいいみたい。変わったのももう結構前だと思う。