黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

『紙の動物園』 ケン・リュウ/古沢嘉通訳 ハヤカワ SF シリーズ,2015

『紙の動物園』 ISBN:9784153350205
昨年の発売時にそこそこ話題になった――とか書いたけど『SF が読みたい! 2016 年版』で海外編一位だったらしいのでそこそこどころじゃないですね――新鋭作家の日本における第一短編集。作者は中国生まれで、十一歳の頃にアメリカ合衆国に移住した。それからハーヴァードを出て、マイクロソフトで働き、弁護士になって、コンサルタント業とプログラマーを並行するかたわら年二十本ペースで短編小説を書いているらしい。ちょっと意味がわからないけど、世の中には化け物みたいな人がいるということなのだろう。
収録作品は 15 編とちょっと多め。「紙の動物園」「もののあはれ」「月へ」「結縄」「太平洋横断海底トンネル小史」「潮汐」「選抜宇宙種族の本づくり習性」「心智五行」「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」「円弧(アーク)」「波」「1ビットのエラー」「愛のアルゴリズム」「文字占い師」「良い狩りを」。
中国からの移民である作者の出自は作品に如実に反映されていて、表題作「紙の動物園」は主人公の母親が中国からの(ある種の)不法移民だ。その母親は包装紙で折った動物に生命を吹き込むことができる力を持っていて、幼少時の主人公はそれに大いに慰められた。しかし主人公は長じるにつれて周囲から差別を受け、自分の中で母親を切り捨てることで自分を守ろうとしてしまう。幼さ故の弱さや恥の意識でひとたび自ら入れてしまった亀裂を、主人公は修復することができない/修復しようとしない。幼き頃の友達だった紙の動物たちも、箱に閉じこめて屋根裏部屋の奥にほったらかしにしてしまう。決して強い悪意があったわけではないのに引き裂かれてしまう切なさと、紙の動物たちのいきいきとした描かれ方がよかった。
もののあはれ」は冒頭から漢字の図版が入るが主人公は日本人。地球に避けがたい破滅が予告され、生き残るためにはロケットで太陽系外に移民するしかなくなる、という状況を発端に始まる物語だが、総じて日本人の描かれ方がよすぎて当の日本人としてはいやいやさすがに、と言いたくなる。シチュエイション自体は SF ではまあまああるものだけど、無常観と物語と状況が上手く噛み合っていて心を動かす。訳者あとがきによると作者には「中国や日本の物語によく見られる、西欧的ストーリーテリングの原則に則らない語り」に興味を抱いて書いてみたそうなのだが、例示していたのが『ヨコハマ買い出し紀行』だったそうで、そんなラスボスみたいな人引き合いに出されても、とは思った。そんなところまで観測範囲に入っているのは率直にすごいけど。
もう一編漢字の図版が入るのが「文字占い師」。父親が台湾の米軍基地に転勤になったため移り住んできた少女と、現地の少年とその保護者である“文字占い”を行う老人の交流を描いた物語で、心温まる前半から中盤の展開と一転して緊張の走る終盤の落差は見事かつシビア。漢字を要素に分解して解釈するのは日本人にしてみればすごく珍しいものではないけど、それを英単語に敷衍するところなんかも巧みだった。
あとは「選抜宇宙種族の本づくり習性」はユーモアたっぷりで楽しい短編。「円弧(アーク)」「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」は少し重なったテーマを扱っていて、前者の主人公、後者の母親の選択には憧れるのだけど、フィクションだとこういう選択に惹かれるのはどうしてだろう。最後の「良い狩りを」は伝奇ものと SF の融合で、日本の漫画っぽい雰囲気がある。
個人的にはイーガンやチャンから受けた衝撃には及ばなかったけど、すごい作家が出てきたのは間違いなく、次の作品集が楽しみだ。