黄昏通信社跡地処分推進室

黄昏通信社の跡地処分を推進しています

「呪い」の話にちょっと関連して。
少しずれるし誤解を招くかも知れないけど、任意接種のワクチンは呪い的要素がかなり強いと思う。あるワクチンの存在を知った瞬間から、親はそのワクチンが対象としている病気に我が子がかかったときのことを想像してしまう。
どんなに罹患率が低い病気でも、どんなに高いワクチンだったとしても、もしその存在を知っていたのに接種しないまま我が子がその病気にかかってしまったら、後悔しない親は殆ど居ないだろう。
その後悔への恐れは、冷静な判断を殆ど不可能にする。理屈で言えば、病気の深刻さと罹患率と費用を勘案して接種すべきかしないべきかを判断するべきだが、後悔への恐れはその判断を大幅に接種する側に押しやる。それはなにか恐ろしい要素をはらんでいるような気がするのだ。


とここまで書いてきて気付いたが、強制接種のワクチンの場合、副作用が(人によっては)呪いみたいに働いてるんだな。ワクチンが広く接種されているからこそその病気の脅威は限定的なものになっているのに、そのことは意識しないと見えにくい。そして接種をしなければ当然副作用は生じない。それで「当たり前に接種をすること」がある種の不作為に感じられるのだろう。「副作用の存在を知っていたのに接種をしてしまった」というのが上の任意接種のワクチンの場合の「病気の存在を知っていたのに接種をしなかった」というのに対応する。もちろんこのふたつは全然違うことだ。


しかし考えてみると、ワクチンに限らず病気とか生命とかが絡むとリスクを金銭換算するのはきわめて難しくなるな。いやまあ病気とか絡まない財産保険でもそうか。単にリスクの評価は難しいって話か。(身も蓋もない方へ行った)