黄昏通信社跡地処分推進室

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この歳になって幸田文の文章がすごいとか書いたらおまえ脳みそ沸いてんのか以外の反応は返って来ないと思うのだけど、幸田文の文章がすごい。まとめて読んだのは多分初めてで、下の文章なんて読んだ後に声に出して「ふはー」と言ってしまった。


細道の両側には貸別荘が立ち木を透けている。その一軒からひょっと籠をさげて出て来た人が、おおまかなアイヌ模様を著ていた。この模様独特の曲線と直線が交錯して、染め色の藍は地の白に切って嵌めでもしたよう。すれちがったとき、それは手拭地でなく縮木綿だと見た。魅惑的である。私のいま下りて来た道、その人のあがって行った道、――やや間をおいて遂にふりかえらずにいられなかった。夏草の道はまっすぐに続いている。杉の梢がすんすんと三角形をつらねて高い空をくぎっている。でも、もうその人はいなかった。たぶんお隣へでもはいったのだろうか、強い印象ばかりを置去りにして。
――幸田文「ゆかた」
こんな風に情景というものが書けるものかと、ただただ圧倒されるし、目に浮かぶなんて生ぬるいものではないと感じる。たぶん、だけど、おれがその場に居合わせてこの光景を見ていたとしても、受ける感動はこの文章を読む感動に及ばないのではないだろうか。そう感じさせる文章が、この世の中にどれほどあるものかと思って、であれば、そのひとつに出会えたことはとても幸運だ。