黄昏通信社跡地処分推進室

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書く、ということ


卑近なコミュニケーションのためのツールに徹して用いるのなら、書き言葉は所謂ネット的な言葉遣いで充分だ。もしもそれ以外に書く者が表現に対する内向的な欲求を抱えているのなら、言葉という曖昧で規則の多いロジックを意識しなければならない。云い換えれば、妄想が大きく、濃いほど、きちっとした文章でなければ形にして外に吐き出すことができないのだ。
なにが困るって、共有しているものが多いことから生じる「充分伝わる」に甘んじて書き散らしていても、それはそれで結構楽しいということなのかな、と思ったりする。よくわからないけど湧いてくる書きたいという欲求は、なんか書いてればまあ満たされるから。
だからその欲求はそれ以上のものではない、と言ってしまった方が健全なんだろうけど、でもどこかでおれは「充分伝わる」ではない場面でも通用するような文章を書く技術を持っておきたい、とは思っていて、そのために無駄な自分ルールをいくつか定めている。殆ど無駄だったことはわかったけど、それでもやらないよりはましかも知れないと思うのでそれはまだ続ける。
「曖昧で規則の多いロジック」は本当に取り扱いが面倒くさいし、放っておくとどんどんぶれていく。だけど、というかだからこそ、それを扱うのは楽しいし面白い。おれが特に目的もなく英会話やってたり、頼まれもしないのに英語の文章を和訳したりしてるのも、多分根っこは同じところにある。いつかこの面白さを伝えられる文章を書ければいいな、と思う。