黄昏通信社跡地処分推進室

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ベランダからかいま見た世界のこと

7月上旬のある夜、洗濯物を干すためにベランダに出た。まだ朝晩は比較的涼しく、それでも夏の訪れの気配は充分にはらんだ夜の空気が身体にふっとまとわりついてきた。その瞬間、20 年以上前のやはりこのぐらいの季節に、実家のベランダから見ていた光景のことが急に思い出された。実家のマンションは大通りに面しているのだけど、けっこう高い階だったので通りの反対側にあるその小さな建物がよく見えた。たぶん個人経営か小規模な会社の学習塾かなにかだったのだろう、19 時 40 分ぐらいになると決まってそこから自分と同年代ぐらい――すなわち中学生か高校生あたりの少年少女が出てくるのが見えた。放課後、結構な時間までの授業が終わったあとで、彼らは大抵いつも少しはしゃいでいるようだった。学校は同じなのか違うのか、仲はいいようで、なんとなく別れがたく五分ほど建物の前の歩道でしゃべっているのをよく見かけた。おれはそれをうらやましく思いながら見ていた。別に学校が楽しくなかったわけじゃない、むしろまあまあ面白く過ごしていたし、友人もそこそこいて、勉学もまあ人並みぐらいにはできていた。不満はなかった――と思っていたけど、ベランダから歩道にいる彼らを見下ろしていると、自分から隔てられているなにかを彼らはあふれんばかりに享受しているように思えた。おれは地元の友達とはおおよそ疎遠になって、中高一貫の男子校でまだ三年近く過ごさなくっちゃいけなくって、同年代の女の子とは久しく口もきいていなかった。それは屈託と呼ぶにもささやかなものだったであろうけど、たぶんやっぱり当時のおれには少しだけ影を落としていたのだと思う。夏の夜の空気が、思いがけずその小さな影を思い出させてくれた。


その頃から数年間が、おれが一番ものを書いていた時期だ。ほとんど誰にも読ませることのないノートに、創作、競馬の予想や考察、日記やエッセイみたいなものまで、様々な文章をアホみたいにたくさん書いていた。創作は割合で言うと学園ものが一番多くて、女の子としゃべったこともないくせに恋愛の話ばっかり書いていた*1。おれは書きたいから書いていた、書くのが好きだから書いていた、あとで読むのが好きだから書いていた、頭の中にある妄想を形にして確かめるのが好きだから書いていた。なにかから逃げるために書いていたわけじゃない、なにかを埋め合わせるために書いていたわけじゃない、なにかが辛くてたまらないから書いていたわけじゃない。でも、それでも、今になってみると、書くことでおれはやっぱりいくばくかは救われていたのかもしれないな、とぼんやり思う。あのベランダから見下ろしていた彼らの世界に少しでも手を伸ばすために、当時のおれが選んだのは書くことだったのだ。


いまでも時々、あのころ書いていたみたいな話を書きたくなることがある。そこまで形にはならないから外に出すこともないのだけど、実際書いたところで多分当時のものからさほど進歩もないものしか書けないだろう。もうさすがになにかから隔てられていると感じることもない。それでもどういうわけか、あのまぶしい世界に手を伸ばしたくてたまらなくなることがあって、それは懐かしさだけでは片づけられない希求であるように思う。

*1:いちおう書いておくが「体験したこともないことを書く」こと自体は非難されるべき話ではない、たとえば剣を振ったことがない人が書くファンタジーにも傑作はたくさんある。