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『麻雀放浪記』全四巻 阿佐田哲也 角川文庫,1979 ISBN:4041459516/ISBN:4041459524/ISBN:4041459532/ISBN:4041459540

Iさんが家に来た時だったか、ふと麻雀放浪記の話になって、「おれ読んだことないんだよねえ」と言ったらTさんに「30年間何やってたの!」と怒られた。次の日だかに本屋に寄って四冊まとめて買い込み、積んでた本が片付いて順番が回ってきたらあっという間に読み終えてしまった。
すっげえ面白い。
かっこよくて、どうしようもなくて、でも愛すべきばくち打ちたちの生き様が活き活きと描かれている。平凡に生きる人がつい覗き込みたくなってしまう暗い世界を、日常と地続きの場所としてばくち打ちは歩く。戦って、戦って、戦って、失って、失って、失って、まれに何かを得ても面倒になって放り出し、それでもそこから離れられない。大事なのは結果ではなくて過程だから。その過程を常に経ているためにはタネ銭以外の持ち物は邪魔でしかないから。そんなめんどくさい奴らを、作者は描き続ける。
そしてその「過程」――博打そのものが、登場人物と同じぐらい、あるいはそれ以上に丁寧に描き出されている。積んだ牌から自模から河から、状況の想像がつくほど細かく描写している場面もあれば、あっさりするほど単純に勝った、負けた、と書いているところもある。その勝負と心理の流れに重きを置いた描き方で、確率などを超えたところにある何かを形にしようとしているのだろう(おれには想像することしかできないが)。
もちろん読者を楽しませる仕掛けにも事欠かない。例えば当初の舞台は上野界隈だが、後に関西に乗り込んでブウ麻雀に挑戦するのは、ストーリー上の要請というよりはゲームの変化をつけるためだろう。単純なすり替えや吊りから、複雑な積み込みや果てはつばめ返しといった大道芸まで、大小さまざまなイカサマが具体的に登場するのは、世界の空気を感じさせるという面もあるだろうが、何より単純に読んでいて楽しいからではないだろうか。
巻が進んでいくにつれて、時代が少しずつ下って行き、ばくち打ちには明らかに生きづらい世の中になっていく。暗い世界はやがて失われて、ばくち打ちはさらに暗いところに向かうか、きっぱり足を洗うか、野垂れ死ぬかしかなくなっていく。それがおぼろげに見えるから、最後のドサ健のモノローグはいっそう寂しい。
角川文庫版は黒鉄ヒロシの表紙がとてもいかす。暗い色使いなんだけど、不思議ととぼけた味わいがある。こんな絵を描く人だとは知らなかった。
読んでたら麻雀打ちたくなりました。おれとやらんか?