黄昏通信社跡地処分推進室

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姉一家とピクニックの予定だったが、朝からけっこうな雨。しかし様子を見ていたら昼前には止みそうな気配だったので予定通り決行とする。新宿御苑、この天気のおかげかかなり空いていた。桜は(入り口付近にあるやつは)八重桜も含めてほとんど散り切っていた。「桜を見る会」来週の土曜らしいけどこりゃ葉桜だねえ。
芝生にシートを広げたのだけど、水はけがいいのか風が強かったせいか、思いのほか乾いていて驚いた。濡れていて困ることはほぼないレベルだった。お昼を食べてから、子供たちをなんとなくその辺で遊ばせる。それから温室へ。園内は空いていたのに温室には結構人がいて不思議。娘と姪は温室内を歩くのが楽しいみたいで、一周したあともう一周していた。息子はなぜか旧温室の遺構に興味を示し、そばまで見に行ったり写真を撮ったりしていた。
家を出るときは暑いほどだったが、座っているうちに上着がないときついなぐらいの感じになったり、暑いんだか寒いんだかよくわからなかった。とはいえ過ごしやすい気候で、結局閉園のちょっと前ぐらいまで遊んでしまった。


姉とした話二件。

  • 一件目、小学校の頃使っていた「みんなのうた」という歌集。文庫サイズぐらいで、ほぼ楽譜と歌詞だけの無愛想な作りでひたすらいろんな唱歌が入っている。1年生?の頃に配られて6年生まで使うので最後の方はぼろぼろになった。姉は今になってそれが欲しくなってメルカリやヤフオクで探しているが同年代ぐらいの奴は中々ないらしい。一度もっと後年の奴をメルカリで落としたがイラストが入ってたりして結構ポップになっていて、収録曲もだいぶ違ったらしい。
    • その歌集で一番おれの印象に残っている歌は「春がよんでるよ」という歌で、たしか歌集の一番頭に入っていたと思うのだが、「ひばりのこ すずめのこ とびながらなにをみた」という歌いだしで、春の歌なのにどマイナーなメロディでなんとも言いがたい味がある。3年生の頃のU先生という音楽の先生が何時間かかけて教えてくれた。姉は忘れていたそうだがおれが歌ったら思い出して一緒に歌えたのでやはり習ってたのかなみたいな話になった。
      • U先生は結構癖のある先生で、姉によると「要求することもかなり高度だった」とのことだった。夏休みの宿題がオリジナルの楽器を作ることであったり、あとは高学年になると作曲の課題みたいなのがあるのだけど、その時も「メロディの高低と歌詞の日本語としての高低を合わせるように」と言ったりしていたのだそうだ。おれはその辺のことはさっぱり憶えていない。(おれは 5,6 年の時はU先生ではなかったので、その所為かもしれない。)
  • 二件目、父の話。父の書く文章はかなりやばい。助詞や接続詞があやしかったり、漢字を開くか開かないかが不統一だったりもするのだけど、それはどちらかといえば些細なことで、もっと根本的なところで文そのものがおかしい。読んでいると迷路に入っていくような気持ちになる。複数の言いたいことをまとめてひとつの文で言ってしまおうとしてしまうきらいがあって、その論理構造がひどくもつれている。時々校正を頼まれることがあるのだが、はっきり言ってほとんど全部書き直さない限りちゃんとした文章にはならない。上で説明した通り論理的にもつれているので、ひとつの文をひとつの文に書き換えるだけではだめで、段落単位で直していかなければならない。これはなかなかに骨の折れる作業だ。不思議なのは、父は決して知性の低い人ではないのだ。身内のことで書きづらいがむしろ相当知的な部類の人間だと思う。話していてもごくまともだ。なのに文章だけが徹頭徹尾だめなのだ。こういう人を他に知らないのだが、でも考えてみると人となりを知っている人の文章を読むことはそう多くないし、もしかすると案外こういう人は世の中に少なくなかったりするのだろうか。幸いこの特性は子供たちには全く遺伝しなかったと見えて、おれたち兄弟は全員まともな文章を書ける。少なくとも父の文章とは似ても似つかない。